市政要覧
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徳富蘇峰氏
(本名・猪一郎)

(昭和30年1月1日表彰)
明治−昭和期の新聞人・歴史家。熊本洋学校・同志社に学び上京、帰郷して自由民権運動に参加し、大江義塾を開設。明治20年民友社を設立「国民之友」、同23年「国民新聞」を発行。「近世日本国民史」100巻を完結。生涯300冊の著作を残した。
文久3年1月25日生まれ、
昭和32年11月2日死去、94歳。
 
堅山南風氏
(昭和44年10月1日表彰)
日本画家。明治42年、22歳のとき上京。大正2年第7回文展に「霜月頃」が初入賞。その後、横山大観に師事した。昭和13年、文展審査員。戦後は文化勲章受章など日本画壇の重鎮となる。代表作に日光輪王寺薬師堂天井画「鳴竜図」、熊本市民会館綴帳「火の国讃舞」などがある。 明治20年9月12日生まれ、
昭和55年12月30日死去、93歳。
           
高橋守雄氏
(昭和30年1月1日表彰)
第7代熊本市長として、歩兵第23連隊の移転・市電・上水道の開設の三大事業を完遂、市の近代化、発展繁栄に尽くした。また、教育者として東洋語学専門学校校長、熊本商科大学長を歴任、郷土教育の振興育成に努力した。
明治16年1月1日生まれ、
昭和32年5月6日死去、74歳。
     
後藤是山氏
(本名・祐太郎)

(昭和54年10月1日表彰)
新聞人、俳人。九州日日新聞社入社後、国民新聞社に留学、徳富蘇峰の薫陶を受けた。帰熊後九州日日新聞社の主筆、編集長として熊本の文化振興に貢献。昭和2年、俳誌「かはがらし」(のち「東火」)を創刊主宰した。著書に「肥後の勤皇」、編書に「肥後国誌」がある。
明治19年6月8日生まれ、
昭和61年6月4日死去、 99歳。
           
細川護立氏
(昭和35年4月1日表彰)
旧肥後藩主細川家16代当主。有斐学舎舎長、肥後奨学会設立、多額の奨学金を出資して本県出身者の育成援護に尽くした。国の文化財保護委員会委員として、本市の重要文化財、史跡、名勝等の保存活用に貢献した。
明治16年10月21日生まれ、
昭和45年11月18日死去、 87歳。
     
中村汀女氏
(本名・破魔)

(昭和54年10月1日表彰)
高浜虚子の門下生で、現代女流俳句の第一人者。常にふるさとを愛する心を底流にした“汀女俳句”は、句にふれる人々に、郷土愛を喚起させ、郷土の文化振興に貢献した。「ホトトギス」同人、「風花」を創刊主宰した。
明治33年4月11日生まれ、
昭和63年9月20日死去、 88歳。
           
福田令寿氏
(昭和35年4月1日表彰)
医師、教育者、社会事業家。熊本英学校で海老名弾正らに学び受洗。エジンバラ大医学部卒。産婦人科病院開業の傍ら無料診療所紫苑会治療所を創立。県医師会長、公選の県教育委員長、大江高校校長、県社会福祉協議会会長、熊本YMCA理事長、県原水禁理事長など歴任。キリスト教信仰に基づく生涯を貫いた。
明治5年12月7日生まれ、
昭和48年8月7日死去、100歳。
     
安永蕗子氏
(平成21年10月1日表彰)
宮中歌会始詠進歌選者を努めるなど日本を代表する女流歌人。歌誌「椎の木」を主宰。平成3年には歌壇の最高賞である迢空賞を受賞。また、書家としても顕著な功績を収める。熊本県教育委員会委員長、熊本県文化協会会長などの要職を歴任、本市の教育・文化の発展に多大な功績。勲四等瑞宝章受章。くまもと県民文化賞受賞。熊本県近代文化功労者。
大正9年2月19日生まれ、
平成24年3月17日死去、92歳。
           
宇野哲人氏
(昭和44年10月1日表彰)
漢学者。東京大学名誉教授。東方文化学院院長、実践女子大学学長、東方学会会長を歴任。清国(中国)に留学して支那学を、ドイツで西洋哲学を学んだ。西洋哲学の方法を用いた中国哲学の叙述は一世を風靡した。
明治8年11月15日生まれ、
昭和49年2月19日死去、98歳。