富合町のあゆみ

富合町は、古代には有明海の一部であり、河川の氾濫等で地勢的に変転を重ねたと推定されている。平安時代の末期に、木原の名主木原氏が浜戸川下流の湿地を開発し、慶長年間には加藤清正によって洪水防止とかんがい用水源として緑川の改修が施され、今日の農業地帯としての母体が生まれた。
明治22年(1889年)の市町村施行によって杉合村と守富村とが成立した。昭和30年(1955年)に「富を合わせて豊かな村を」という意味を込めて両村が合併して富合村が発足し、さらに昭和46年8月1日に町制を施行し、「富合町」となった。
地形的に平坦な低湿地帯であることにより、以前から洪水の常襲地帯であり、昭和40年代には度重なる水害に見舞われたが、昭和46年県営の湛水防除事業に着手。排水時間の大幅な短縮により、町内多くの地域の水害が解消されている。また、わが町の基幹産業である農業の発展の鍵として昭和47年に着手した圃場整備事業により、用排水分離が進み、農業経営に一大転換期が訪れ、メロン等の施設園芸が盛んになった。
昭和39年に新産業都市の指定を受け、次いで昭和46年には熊本市を中心とした熊本都市計画区域並びに農業振興地域、昭和47年には熊本中央広域市町村圏の指定を受けている。
平成7年に熊本中央広域市町村圏から宇城地域が抜け、宇城広域市町村圏となり、平成10年には宇城広域連合の一員となっている。
教育においては、平成16年度から小中一貫教育に取り組み、一人ひとりの資質を高め、能力の伸長を図ると共に豊かな人間性と社会性を育成するため、小中9年間を通し、子供達の個性、発達段階に応じた教育が推進されている。
また、富合町は、様々な歴史と伝統文化に彩られている。日本三大不動尊のひとつである「木原不動尊」の春季大祭では、火渡り・湯立ての荒行が行われ、県内外から大勢の参拝客で賑わっている。そして古式豊かな神楽と流鏑馬や馬追いが奉納される「六殿宮」の入母屋造りの楼門は、別名釘なし楼門とも呼ばれ、国の重要文化財に指定されている。
近年は、20万平方メートルに及ぶ敷地に新幹線の整備や点検などを行う全国で3番目の九州新幹線熊本総合車両基地の建設、及び国道3号の4車線化等、押し寄せる都市化の波の中、調和を図りながら住民が健康で楽しく、生きがいを持ち安心して暮らせる町を目指し、「熊本市の新しい南の玄関口」として、富合町は大きく変わろうとしている。

【富合町】

市町名

市町村制施行

合併の状況

杉合村 明治22 釈迦堂、大町、上杉、杉島、御船手
小岩瀬、国町、菰江、莎崎、硴江
守富村 明治22 榎津、木原、平原、南田尻、田尻、
西田尻、古閑、志々水、清藤、廻江、新
富合村 昭和30 杉合村、守富村(2町合併)
富合町 昭和46 町制施行

 

熊本市富合町合併特例区

電話番号096-357-4111

富合町合併特例区は、平成25年10月5日で終了しました。

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