後藤是山記念館だより「淡成居」第3号を発行しました!
後藤是山(本名・後藤祐太郎)は「生涯一記者」として99歳の人生を生きた人です。その生涯にわたる活動や魅力、記念館のことなどをたくさんの皆様へお伝えするため、『後藤是山記念館だより「淡成居」第3号』を発行しました。どうぞご覧ください。
◆第3号目次
P1 巻頭言:石一つころげて庭上冬に入る 浩一路
P2・3 大正デモクラシーの中の是山(その1)-高まる郷土史熱-
P4 記念館ニュース 「淡成居で論語を学ぼう!」を開催しました。
後藤是山記念館へ行こう! 企画展『平安文学展(後半)』を開催中
後藤是山記念館だより「淡成居」第3号
◆バックナンバー
第2号 後藤是山記念館だより「淡成居」 令和6年9月8日発行 (PDF:1.18メガバイト)
後藤是山記念館ニュース
〈自主講座を開催しました!!〉 「淡成居」で論語を学ぼう! ~大谷選手の愛読書『論語と算盤』の原点に迫る~」を開催しました。
後藤是山記念館では、去る11月24日(日)、自主講座として「淡成居で論語を学ぼう! ~大谷翔平選手の愛読書『論語と算盤』の原点に迫る~」を開催しました。
「淡成居」は、時習館の第2代教授・薮孤山の旧居と伝わる建物の一部を移築したものです。
是山は大正元年から北千反畑町にあった薮孤山の旧居に借家として住み、この建物が解体されることとなって、昭和2年にこの地に新築し引っ越して来ました。そのとき大工さんから旧居には床の間や縁側、天井、壁などにはなかなか立派な材料が使われているからと、それを使うよう勧められ、旧居の一部を移築したといいます。
薮孤山が教授を務めた時習館では朱子学が中心でした。当然『論語』も教えられており、孤山も論語について語ることが多かったと思います。
そこで今回は淡成居に論語講師・松﨑昇先生をお招きし、講座を開催することにしました。15名の参加を得て、床の間と次の間はいっぱいになりました。「学而(がくじ)」から「陽貨(ようか)」までのうち、順に16章を素読し、講師が解説を加えていかれました。
当日は天気に恵まれたものの寒波で冷えたのですが、皆さん熱心に講座を聞かれました。「楽しかった」「また続編を開催してほしい」といった声が聞かれました。
「淡成居」四季遊行(紅葉)
後藤是山記念館「淡成居」のお庭が紅葉を迎えました。(令和6年12月15日撮影)
毎日がだいぶ寒くなって、遅かったお庭に紅葉の時期がやってきました。
お庭のもみじも満天星つつじも真っ赤に紅葉しています。
「淡成居」中庭の風景
後藤是山記念館探検‼
(1)記念館の前まで来ると白壁の蔵が見えます。
水前寺の後藤是山記念館の近くに来ると、白壁の美しい蔵が見えてきます。
ここが後藤是山記念館の正面建物です。記念館の建物がどうして蔵の形をしてるのでしょう?
それは是山が住んでいた頃、土蔵も屋敷の一角に作られていたからです。
後藤是山記念館 揮毫する是山(淡成居にて)
(2)記念館の中に入ってみよう! まず資料展示室があります。
入ってすぐ、受付があり、資料展示室があります。
後藤是山は九州日日新聞社(のちの熊本日日新聞社)の記者となり、徳富蘇峰の国民新聞社でも学び、熊本の近代文化の発展、向上に大きく貢献した人です。昭和26年に熊本県近代文化功労者として顕彰され、昭和54年に熊本市名誉市民となっています。
明治19年(1886年)に大分県久住町に生まれ、昭和61年(1986年)99歳で、記念館に残されている「淡成居」で亡くなります。徳富蘇峰や与謝野寛、晶子、高浜虚子など広く中央の文化人とも交流を深めました。
記念館資料展示室
(3)記念館の中には「淡成居」が建っています。「淡成居」の中へ入ってみよう
「淡成居」とは、是山が昭和2年から移り住んだ住まいのことです。「淡成居」とは、「君子の交わりは淡々として水の如し」という意味があり、徳富蘇峰が命名しました。いかにも文人墨客の旧居らしい名前ですね。
この旧居は、熊本藩時代の時習館2代目教授・薮孤山の旧居の一部を移築したものといわれています。
記念館に来館されたら、ぜひこの「淡成居」も見学してください。是山がふと出てきそうな、そんな昭和の風情が色濃く残る旧居です。庭にも自由に入れます。
庭から見た淡成居(左) 中庭(右)
〇玄関から入ってみましょう。
さあ、ガラガラっと玄関を開け入ってみましょう。
玄関 玄関前飛び石
玄関を入って左の部屋には小さな囲炉裏のある茶の間があります。
是山は炬燵を使わず、この囲炉裏で暖を取っていました。夏でもこの囲炉裏の火は絶やしたことはなく、ここでお茶を飲んだり,談笑したりしていました。是山のくらしを彷彿させます。
この部屋には是山の使ったラジオや電話機、ミキ夫人の使ったアイロンなどがあります。
〇次に床の間です。
「淡成居」は江戸時代時習館の教授だった藪孤山の屋敷の一部を移転したものと言われています。とても落ち着いた床の間です。昭和2年、ここに徳富蘇峰も訪れ、時を忘れ話し込み、楽しい時間を過ごしました。
〇広縁からガラス戸を通してお庭を観ましょう。
ガラス戸に囲まれた広縁や縁側が西南に広がります。このガラス戸を通してみるお庭も素敵ですよ。ここの籐椅子に座って、庭を眺めながら是山と思索の時間を過ごすのもいいですね。
(4) お庭には2つの石碑が立っています。蘇峰や蘆花ゆかりの木々も・・・
石碑の一つは昭和17年に建立された徳冨蘇峰の詩碑(写真左)です。蘇峰が淡成居に送った公孫樹の成長を祝い、是山への思いを託した漢詩が刻まれています。もう一つは是山の筆塚(写真右)です。是山が詠んだ「落葉炊く凡庸の山眺めつつ」の句が刻まれています。昭和25年に建立されました。
徳富蘇峰の「公孫樹詩碑」 是山の筆塚
また、このほか是山が徳富蘆花が亡くなったあと粕谷の蘆花園(現在の蘆花恒春園)から持ち帰った2株の満天星(ドウダンツツジ)と、実を拾って来て植えた栗の木もあります。
どうぞぜひ一度お越しください。「淡成居」が好きになりますよ‼。
◎熊本市の記念館・資料館 後藤是山記念館(外部リンク)
◎熊本市観光ガイド 後藤是山記念館(外部リンク)