講演要旨
1.歴史とは何か
イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーは、「われわれは歴史の中にいる」との言葉を残している。みなさんも、なんでもない生活の中で、未来に向かって動く歴史の中にいる存在であるということだ。
2.歴史に見る心と文化
日本人には、他の国あるいは民族にはない独特の信仰、世界観、特に里山の文化を持っている。また、文化の担い手はコミュニティであり、個人が持っている限りでは文化ではなく、それが集団や社会で共有される中で初めて文化というものになっていく。文化とは「学問、信仰、芸術、倫理、法律、風習、そしてその他に、社会の一員として人間が身につける全ての能力と習慣からなる複合体」である。それは「ある一つの人々の集団が学習し、共有した行動様式であり、歴史という時間をかけて共有化されたヒト独自のもの」でもある。チンパンジーもボノボもゴリラも文化や歴史というのを持っていない。歴史と文化は、人間独自のものであり、人間が社会で生きていく上での社会固有のプログラムである。
3.カルチャーランドスケープ
広大な筑紫平野の大地は、4 度に亘る阿蘇の噴火で堆積した膨大な火山灰により作られた。また、有明海の場合は、川から流れ出した土が堆積すると同時に、浮泥となって海に浮かんでいる火山灰が満ち潮とともに陸のほうに押し戻され、引き潮とともに堆積することで、年10mという驚異的なスピードで沖積が進んだ。この自然の摂理を利用して江戸時代は干拓事業が行われ、碁盤の目状に田畑が作られた。このように自然の営みと、人間の営みがおりなし創った世界が、カルチャー・ランド・スケープすなわち歴史的文化景観とでもいうべきものである。
4.環境と世界観
世界観は環境から生まれ、それは信仰とも言える。自然だけが環境を決定するのではなく、人が関わりながら作ってきた環境もある。たとえば、山の神様とか風の神様とか我々の世界には神様が満ち溢れている。そういうものと一体となって我々は生活をしているという感覚である。そういうものを含めた環境や自然と一緒になって作り上げてきた生活環境、これが歴史的産物である。
縄文人の世界観は、「精霊信仰」つまり、万物に神々が宿るということである。お箸や茶碗、草や川、どのようなものにも神が存在し、それらを自分の社会の中に位置付けていくという世界観は、縄文人が始めたことなのである。
ところが約2500 年前、稲作の渡来とともに、弥生人の世界観が入り込み、穀霊、作物に対する信仰が新たに入ってくる。それから世代を渡って農業を営んでいくことで、新たな祖霊信仰が生まれ、国、政治社会の成立とあいまって、支配的な思想が出てきた。このあたりから、その国を作った祖先が社会的に大きく祀られるようになる。
5.吉野ヶ里遺跡について
吉野ヶ里遺跡は、火砕流が堆積し丘陵として残った所に形成され、住居、墓、壕など、いろいろな施設や遺物が出土している。村から国へと発展する様子を段階的に追って説明できる遺跡でもある。環壕集落内の北位置に歴代の王を葬った墳丘、人工的な盛り土があり、その前に社を建てて、柱を立てて、祀りをしていた。国つくりをした王が中央に埋葬され、その周囲に歴代の王たちが埋葬されている。あの世に行った魂に時々帰ってきてもらうため、神託を受ける巫女がおり、魂を呼び戻すために柱が立てられた。住居の跡もたくさんあった。発掘した遺構から、そのまま復元すれば同じ建物になってしまうが、当時の人たちの信仰や世界観を我々は可能な限り追求して復元した。王の墓と祭壇はほぼ南北に配置されており、これが、都市的な集落を作る基準線であるとともに、信仰上の基準線ともなっていると考えられる。
6.神話は絶えず生成される
当時の人たちの世界観、神話というものは実態のない物語であるが、神話とは、人類がいかにして現在の姿になったのかを説明する象徴的な物語である。日本各地にその土地独自の祖先神がいたが、中央で神話が編纂される際に抹殺され、大和の祖先神だけが頂点にいる神話が作られた。九州筑紫も肥前、肥後も独自の建国や国生みの神話の体系をもっていたと思う。かつての吉野ヶ里にも、国生みの神話があったと考えられる。どのような神話であったのか、言い換えれば彼らの世界観を窺い知ることから、はじめて、私たちは歴史公園「吉野ヶ里国」の首都の威容の復元と再現が可能となったといってもよい。ただ、機械的に出てきた建物の跡に合わせて、住居や建物や壕を作ったわけではない。
7.まとめにかえて-昔はよかった!?-
こうした歴史遺産を活用するためには、戦略が重要である。市民にとってどのような意義があるのか、市民がそれをどう享受するかを考えることが必要である。大事なのは、「守る」、「創る」、「生かす」ということだ。「守る」は、まずは遺跡の保存が第一で、「創る」は、きちんと市民に提供できるような施設整備が必要である。それから「生かす」は、体験学習など市民が参加できるいろいろな催しなどである。 ただ整備すれば、勝手にみんな使ってくれるだろうということではなく、どのように活用するのかというプログラムが必要である。
研究者の中には、「昔は良かった」と、言う人がいる。縄文時代は戦争がなかった、平和だったと。では縄文時代に帰ればいいじゃないか、というわけにはいかない。そういうことではなく、しっかり歴史を見るということが必要である。
※講演会要旨の文責は都市政策研究所にあります。
※内容の詳細は講演録をご覧ください。