熊本の伝統工芸
熊本市には、国の指定を受けた伝統的工芸品である肥後象がんをはじめ、川尻刃物、肥後まり、肥後手まり、おばけの金太など歴史ある素晴らしい伝統工芸品があり、暮らしの中で人々に愛されてきました。これらは、長い歴史の中で文化として育まれ、手づくりのもつ温もりが日々の暮らしに豊かさと潤いを与えています。
肥後象がん
肥後象がんは約400年前に藩主に仕えていた鉄砲師が銃身や刀の鍔に象がんを施したことが始まりといわれます。鉄地に金、銀をはめ込み、さまざまな模様を描きだす工芸品。現在では「布目象眼(ぬのめぞうがん)」の技法でペンダントやネクタイピンなど装飾品を中心に製作され、盛り上がりのある重量感と鉄地の美しさが特徴です。国の伝統的工芸品に指定され、熊本市の代表的な伝統工芸品となっています。
川尻刃物は、室町時代の刀鍛冶「波平行安(なみひらのゆきやす)」が始まりとされます。軟鋼に硬い鋼をはさんで手打ちで鍛え上げる「割り込み鍛造」という技法を頑固に守り続けています。川尻刃物は、切れ味が良く、耐久性があり、重厚な美をそなえているのが特徴です。
おばけの金太
加藤清正が熊本城を築く際「金太」という足軽がいて、風貌がこっけいで、人を笑わせることが上手で 「おどけの金太」と呼ばれて人気者だったといわれています。嘉永年間に人形師の西陣屋彦七が金太の伝説をもとにカラクリ人形を作り出したのが原型だといわれ、後に「おばけの金太」別名「目くり出し人形」とも呼ばれるようになりました。真紅の顔にぐるりと回る目玉、ヒモを引くと舌を出して目玉がひっくり返り、皆をびっくりさせる熊本でも人気の郷土玩具です。
芯にヘチマを使い、フランス刺繍の糸で複雑な模様を施しています。「あんたがたどこさ」の唄を生んだのは、この肥後てまりといわれています。江戸時代、各藩の城勤めの奥女中たちが手なぐさみで作り始めたものが、各地の城下町に伝わり、代々肥後の女性に受け継がれてきました。現在、肥後てまり同好会により技術が伝承されています。
もみがらを芯とし、木綿糸を天然の植物染料で染め、伝統の13種の柄を配色の変化で手かがりして作られています。江戸時代中期に木綿が一般の人々に手に入りやすくなり、「手まり」は全国の主な城下町で盛んに作られるようになり、正月の玩具や雛祭りの飾りとして使われました。現在、熊本国際民藝館で肥後まりの会を中心に作られています。
肥後こま
肥後こまは男の子の遊具であるとともに縁起もの、明治以降は子どもの玩具、鑑賞用土産品として親しまれてきました。十三の種類があり、トンボ、チョンカケ、ヒネリダルマ・・とその名称は熊本ではおなじみとなっています。江戸時代から作られており、特にちょんかけ遊びという、紐を使って空中で回す遊びは、肥後こま保存会によって伝承されています。色鮮やかな肥後こまですが、肥後こまに使用している赤(心臓)、黄(肝臓)、緑(腎臓)、黒(すい臓)の4色と付けていない無色(肺)は身体の五臓を現し、健康長寿への願いが込められています。
講談などでおなじみの肥後の駒下駄は、肥後細川藩時代に武士が履いたと言われる由緒ある下駄で、阿蘇の小国杉を使っています。戦前は、第五高等学校(現在の熊本大学)の学生たちが手拭を腰に下げ、肥後の駒下駄で熊本市内を闊歩したといわれています。
竹工芸
熊本は豊富な竹資源に恵まれ、種々の竹製品が作られてきました。農具や漁具など生活用具などを中心に製作され、荒物と呼ばれる竹細工の製作が今も続けられています。竹の職人達は、かつては村々を回り、注文に応じて仕事をしたり竹山に工房を作り仕事場とするものもありました。 かつては、専業の職人だけではなく農家などでも自給的に作られていました。
◇くまもと工芸会館◇
川尻刃物、川尻桶の産地である南区の川尻には、熊本の暮らしのなかで息づいてきた伝統工芸品や創作により新たな可能性を探る熊本の工芸品も紹介する無料展示館「くまもと工芸会館」があり工芸品の魅力を伝えています。工芸品の販売のほか、郷土に伝わる工芸品の製作を目の前で見学、体験できるコーナーの設置など楽しみながら体験できる施設となっています。
■住所:〒861-4115 熊本市南区川尻1-3-58
■電話番号:(096)358-5711
■料金:無料
■開館時間:9時00分~17時00分
■休日:月曜(月曜日が祝日の場合は翌火曜日が休み)、12月28日~1月4日
■駐車場情報:無料 45台
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す。http://www.kumamoto-kougei.jp/