小堀流踏水術 -水中で戦う武士の泳ぎ-
鎧(よろい)や兜(かぶと)を付けて水中で戦う武士の泳法が、小堀流踏水術である。
肥後細川藩は、歴代藩主が武用として游泳を奨励した。
宝永年間(1704~11)、藩士村岡伊太夫は、游(およぎ)の奥義を究めて小堀流踏水術を生み出し、その子小堀長順が初代範となり伝承されてきた。
長順は、この泳法を後世に残すために『踏水訣』『水馬千金篇』『水練早合点』を著し出版した。これは日本最古の水泳専門書である。
水中で脚を左右に開き、足を交互に踏んで、足だけで泳ぐ立游が特徴である。
熊本県指定の重要無形文化財で、小堀流踏水会が普及と後継者の育成に努めている。
江津湖や水前寺成趣園の清水が湧く情景は、作家たちの心をとらえ、多くの作品を生み出した。
夏目漱石は江津湖を題材に俳句を詠んでいる。芭蕉園近くの碑には白魚の句が刻まれている。
「ふるひ寄せて 白魚崩れん 許り也」
漱石は水前寺成趣園も好きだったようで、たびたび訪れて句を残している。
「しめ縄や 春の水湧く 水前寺」
江津湖畔に生まれ育った俳人中村汀女は東京で暮らしていても、江津湖への愛着は強かった。「句想はいつも江津湖に」。心の中にはいつも江津湖の情景があった。江津湖畔に句碑が建つ。
「とどまれば あたりにふゆる 蜻蛉かな」
初夏の水前寺成趣園を詠んだ句、すがすがしい情景が伝わってくる。
「朝蝉や 水輪百千 みな清水」