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古樹の紹介

最終更新日:
(ID:53094)

西出丸のムクノキ(本丸40)


天守前のイチョウ(本丸209)

 古写真は現在の天守広場の位置で手前に古樹(本丸209)のイチョウと奥に第六師団司令部の建物が撮影されている。古樹は加藤清正公お手植えという伝承があり、熊本城の別名「銀杏城」の由来となった樹木である。西南戦争では天守一帯の火災の際に樹木も燃えたものの、その萌芽が現在では大きく育っており、今も燃えた幹の一部が残っている。

本丸209-1

大正~昭和初期撮影(歴史文書資料室蔵)

本丸209-2
現在(令和3年撮影)

頬当御門脇のクスノキ(本丸225)

 明治7年(1874)の時点では頬当御門はなく、鳥居と塀が巡らされている様子が写る。古樹(本丸225)のクスノキも当時から大きく繁っている様子が写っている。

本丸225-1
明治7年撮影(長崎大学附属図書館蔵)

本丸225-2
現在(令和3年撮影)

飯田丸のクスノキ(本丸257)

 明治8年(1875)の古写真では、行幸坂が整備される前で、備前堀の手前は平坦な地形である様子が写っている。飯田丸五階櫓の背後にある樹木が古樹(本丸257)のクスノキ。飯田丸にあるこのクスノキは樹齢800年と言われており、当時から大きくそびえ立っている様子が写っている。

本丸257-1
明治8年頃撮影(長崎大学附属図書館蔵)

本丸257-2
現在(令和3年撮影)

竹の丸長塀脇のクスノキ(本丸473)、竹の丸連続枡形入口のクスノキ(本丸499)

 大天守最上階から連続枡形を見下ろすような角度で撮られた写真。今は無い竹の丸五階櫓も写っており、その左右に杉林に混じるように古樹(本丸473、499)のクスノキが確認できる。

本丸473,499-1
明治4年撮影(長崎大学附属図書館蔵)

本丸473,499-2
現在(令和2年撮影)

須戸口門脇のムクノキ(本丸526)

 長塀東端の対岸から厩橋方向を写した写真。坪井川の川底が掘り下げられる前の明治10年(1877)頃の様子が写っている。古樹(本丸526)のムクノキが確認でき、奥には古樹(本丸528)のムクノキも写っている。

本丸526-1
明治10年撮影(熊本城顕彰会蔵、熊本博物館寄託)

本丸526-2
現在(令和3年撮影)

厩橋脇のムクノキ(本丸528)

 明治7年(1874)の古写真では厩橋左手には建造物があり、その間に現在と樹形が同じ様子で今よりも垂直に立った古樹(本丸528)のムクノキが確認できる。

本丸528-1
明治7年頃撮影(長崎大学附属図書館蔵)

本丸528-2
現在(令和3年撮影)

櫨方会所跡のクスノキ(本丸700、本丸767)

 現在の監物台樹木園前の通りから加藤神社側を撮影した古写真で、今は無い北大手門が写っている。この櫓の後ろに加藤神社の斜面に立つ古樹(本丸700、767)のクスノキの姿が確認できる。

本丸700,767-1
明治4年頃撮影(長崎大学附属図書館蔵)

本丸700,767-2
現在(令和3年撮影)

櫨方会所跡のイチョウ(本丸722)

 加藤神社境内奥にあるイチョウ。古写真は、現在の加藤神社東側石垣下から加藤神社を見上げて撮影されており、左端に宇土櫓も写る。以前は枝が大きく広がっていたが、現在は腐朽した枝が剪定され、幹の部分が生き残っている。

本丸722-1
明治10年撮影(熊本城顕彰会蔵、熊本博物館寄託)

本丸722-2
現在(令和3年撮影)

時習館跡のクスノキ(二の丸114)

 古写真は大天守最上階より現在の二の丸広場の方向を撮影したもので、当時建設されて間もない歩兵13連隊の兵舎が広場を囲むように配置されており、古樹(二の丸114)のクスノキがこの建造物の後ろに存在しているのが確認できる。

二の丸114-1
明治8年撮影(文化財建造物保存技術協会蔵)

二の丸114-2
現在(令和3年撮影)

二の丸西空堀縁のクスノキ(二の丸220)

 大天守最上階から撮られたと思われる明治4年(1871)の古写真では、現在の二の丸広場にあった武家屋敷が解体され更地となっている様子が分かる。広場奥の位置にうっすらと古樹がそびえ立っており、さらに奥には藤崎台のクスノキ群の存在も確認できる。

二の丸220-1
明治4年撮影(プリンストン大学蔵)

二の丸220-2
現在(令和2年撮影)
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