西区の歴史
区の歴史
「新熊本市史」等から西区の史跡や史実に関する記述などを時系列で抜粋しました。
先史時代
◆今から2万年前の旧石器時代後期の遺跡とされる谷隠軒(谷尾崎)遺跡から細石器が、高橋遺跡からナイフ型石器などが出土、近年の池辺寺跡の発掘調査時にも尖頭器やナイフ型石器が出土しています。このようなことから、西区には少なくとも2万年以上前から人々が暮らしていたことが伺えます。
この時代には気温が上昇(海面が上昇)し、大陸と離れてほぼ現在の列島ができたとされています。
◆縄文時代前期の紀元前4000年前にはさらに海面が上昇(縄文海進)し有明海沿岸には貝塚が作られるようになりました。
松尾町の川戸貝塚からは押型文土器が発見されています。
◆縄文時代後期紀元前2000年頃になると海面が低下し、海岸線がしだいに後退していきました。この頃に九州各地で作られていた磨消(すりけし)縄文土器が上高橋高田遺跡で見つかっています。
西区内には縄文時代の遺跡は多くあり、上記のほかに野添平遺跡(谷尾崎町)、千原台遺跡・島崎遺跡(島崎町)などがあります。
◆弥生時代(紀元前300年~西暦300年頃)の遺跡はさらに多く、前期には、上高橋高田遺跡や御坊山遺跡(小島上町) のように低地に接した微高地にありますが、中期になるとより高い丘陵地にも広がっています。
中期の集落遺跡は、上高橋高田遺跡で大規模な集落が形成されており、遺物も質・量ともに豊富です。後期では、戸坂遺跡が顕著です。
これまでに3面の青銅鏡が出土しており、発掘調査も実施されています。他に、野添平遺跡、石神原遺跡、千原台遺跡(島崎町)、池の上遺跡(池辺寺跡池の上地区、後期池辺寺跡)でも土器・石器などが出土しています。
また、高橋地区の浸水対策として調整池を整備予定の上代町遺跡群から平成27年度の発掘調査で弥生時代中期の多数の木製品や河川跡が見つかっています。また、河川跡からは古墳時代中期の鍬や鋤などの農機具など木製品460点が出土しています。
◆ 古墳時代(西暦250年頃~593年)に関しては、西区は熊本市内で最も古墳が密集した区域といえます。
平野に近い丘陵・山麓において、多くの古墳・石棺墓が群集しています。本妙寺山石棺群、花岡山石棺群、北岡横穴群、万日山古墳、城山古墳群、小松山古墳群、高橋山(二本松古墳群)、楢崎山古墳群、権現山(千金甲古墳群、権現平古墳群)などがあります。
千金甲1・3号墳は、装飾古墳として特に著名で、国史跡に指定されています。
◆日本書紀によれば西暦535年に春日部屯倉(かすがべのみやけ)が火国(現在の西区春日)に置かれました。春日部屯倉は西暦527年に筑紫国造(つくしのくにのみやっこ)磐井(いわい)が大和朝廷に対して反乱を起こしたことがきっかけとなり、大和朝廷の中・北部九州への支配強化のために筑・火・豊の三国に置かれた8つの屯倉の一つです。
古 代
飛鳥時代(593年~710年)・奈良時代(710年~794年)
◆二本木遺跡群は、古代・中世の「飽田国府」の推定地とされ、当時の熊本県(肥後)の政治・経済の中心地であり、遺構、遺物の量・質ともに他の遺跡を大きく凌駕しています。
この二本木遺跡群は春日部屯倉と関連が非常に深いとされています。
この地域の中世城址では、上代城、上松尾城、下松尾城、楢崎城、池上城が知られています。
◆西暦713年(和銅6年)に道君首名(みちのきみのおびとな)が筑後守兼肥後守となりました。
初代肥後国司となった首名は大宝律令の編さんにも加わり、新羅への大使も務めるなど大変有能な役人で西暦718年に没するまで、味生池(あじうのいけ:詳細は池上校区のページに記載)の築造など両国の灌漑事業に力を尽くすなど多くの人々が恩恵を受けたと伝えられています。
平安時代(794年~1185年)
◆西暦795年(延暦14年)に肥後国が九州唯一の大国になったと日本紀略に記されていますが、首名の功績によるところも大きいようです。
◆西暦893年(寛平5年)新羅の賊が飽田郡に侵入し人家を焼いたことが日本紀略に記されています。
毎年10月14日に行われる鹿嶋宮(西区松尾町近津)の火ノ神祭りはこの故事にゆかりのある祭りです。
(火ノ神祭りの詳細は松尾西地区のページに記載しています。)
◆西暦900年頃に池辺寺(西区池上百塚地区:国指定史跡)が建立されました。(池辺寺の詳細は池上校区のページに記載)
池辺寺は平安末~鎌倉期には天台修験の本寺である比叡山の無動寺領でした。西暦976年(貞元元年)に焼亡したと伝えられており、中世末には現在の池上神社付近に堂舎を移したと見られています。
中 世
鎌倉時代(1185年~1333年)
◆1228年(安貞2年)弁阿が往生院にて別時念仏を修す
熊本に浄土宗を伝えたのは法然の弟子で鎮西派の祖聖光房弁長(弁阿)です。建久8年(1197年)法然の弟子となり、安貞2年白川のほとりにあった往生院(現在は池田1丁目)で22名の結衆とともに48日の別時念仏を修し、念仏行の興隆を願って「末代念仏授朱印」を著しました。これが熊本の浄土宗のおこりといわれています。
南北朝・室町時代(1336年~1573年)
◆西暦1426年(応永33年)寰中元志(かんちゅうげんし)により成道寺(西区花園7丁目)が開山しました。菊池氏の滅亡に伴い衰退しましたが加藤清正から10石の寄進を得て再興され、細川氏入国後は重臣沢村大学吉重の菩提寺となりました。
近 世
安土桃山時代(1573年~1603年)
◆西暦1580年(天正6年)白川の旦過瀬(たんかのせ:世安橋上流)で大友氏側の御船城主甲斐宗運と大友氏から自立の動きを示した隈本城主城親賢の合戦がありました。(甲斐氏の勝利)
旦過瀬は二本木の国府から、国分寺のある旧国府、さらに健軍神社を経て阿蘇につながる「阿蘇大路」の白川の渡河点の浅瀬でした。
翌天正7年に城親賢は亡くなりましたが、墓は岳林寺(西区島崎)にあります。城親賢は熊本市の植木市の生みの親とされ、毎年1月下旬、植木市に先立ち墓前祭が行われています。
◆西暦1588年(天正16年)加藤清正 隈本城入城
江戸時代(1603年~1868年)
◆西暦1607年(慶長12年)熊本新城落成
◆西暦1611年(慶長16年)加藤清正 死去
加藤清正は豊臣秀頼と徳川家康の二条城会見を無事に終わらせ、帰国の途についたところ発病し、6月24日熊本で死去しました。(50歳)
◆西暦1616年(元和 4年)本妙寺完成
本妙寺は日蓮宗で山号は発星山。清正により初め大坂で創建され、肥後入国後、慶長5年に法華坂に移建。
元和2年に現在地(西区花園4丁目)に移りました。
◆西暦1640年(寛永17年)宮本武蔵が細川家の客分として熊本に招かれました。有名な兵法「五輪之書」を西区松尾町の霊巖洞に籠もり寛永20年に完成させています。
西暦1645年(正保2年)宮本武蔵没(62歳)
◆江戸時代には熊本城下では干ばつや大飢饉、大火がたびたび発生していました。
西暦1720年(享保5年)7月には干ばつが続いたので当時、井芹川の本流が流れていた西区横手の鐘ケ渕(禅定寺と妙永寺の間)で雨乞い祭りが行われたという記録が残っています。
旧本流は島崎村から高麗門に通ずる筒口橋の南から急なカーブとなるため、深い淵になっていたといわれています。大干ばつの年には各地で雨乞いが行われていましたが、この場所で行われていた雨乞いは鐘巻といわれていました。
◆西暦1763年(宝暦13年)高橋町に藩直営の製蝋所が完成
◆西暦1772年(安永元年)高橋・川尻・小島に天草問屋設置
◆西暦1791年(寛政3年)本妙寺本堂が焼失
◆西暦1792年(寛政4年4月1日)島原大変肥後迷惑
島原半島の眉山が崩壊し、大津波が発生。島原や対岸の肥後、天草で多数の死者や負傷者が出ました。幕府に報告された記録によれば肥後細川領では飽田郡、益城郡、宇土郡、玉名郡等で流出・破損した百姓屋3,286軒、町在の溺死人4,673人、怪我人810人、塩浜損害61町、田畑潮入荒地2,331町余りとなっています。
◆西暦1810年(文化7年2月9日)本妙寺本堂再興
清正公信仰の発祥地本妙寺では50年ごとに大法要が行われており、本堂完成後の2月19日から29日まで清正公200年忌法要が営まれました。この頃から頓写会(とんしゃえ)が始まっています。
◆西暦1859年(安政6年2月19日)翌年加藤清正250回忌につき29日まで本妙寺で法会執行
近 代
明治時代(1868年~1912年)
◆西暦1868年(慶応4年)9月8日 慶応4年を明治元年と改元
☆12月 祇園宮を仏語と忌み北岡宮(西区春日1丁目)と改め、さらに明治4年8月に北岡神社と改められました。
◆西暦1871年(明治3年)7月14日 廃藩置県により熊本藩は熊本県、人吉藩は人吉県となりました。11月さらに改めて
熊本県と八代県の2県となりました。
◆西暦1872年(明治4年)6月13日 熊本県庁が飽田郡二本木村(西区二本木3丁目12)に移され、翌日、熊本県は白川県に
改称されました。
☆6月17日 明治天皇が西国御巡幸の際に御召艦「龍驤(りゅうじょう)」で小島沖に来航され、小島町に宿泊されました。
(「龍驤」は熊本藩知事細川韶邦(よしくに)が明治3年に政府へ献納した軍艦です。)
(詳細は小島校区のページに記載しています。)
◆西暦1873年(明治6年)9月 飽田郡春日村に春日学校が開校
林秀謙ら実学党の人々によって小学校設立の目的で建設されました。
◆西暦1874年(明治7年)11月24日 白川県庁が二本木から古城病院跡に移転
◆西暦1876年(明治9年)1月30日 熊本バンド結成
熊本洋学校生徒35名が花岡山でキリスト教入信の結盟を行いました。
◆西暦1877年(明治10年)2月15日 西南戦争勃発
☆2月19日 熊本城天守閣炎上
☆西暦1879年(明治12年)1月20日
飽田・飽託郡役所が飽田郡横手村に置かれ4町109村を管轄しました。
◆西暦1889年(明治22年)2月11日 大日本帝国憲法公布
☆4月1日 市制・町村制施行 熊本市誕生
☆7月28日 午後11時49分 金峰山系で大地震
不気味な大音響とともに熊本市の大地を揺るがす大地震(M6.3)が起こりました。市民は恐れ、狼狽し、混乱し戸外に野宿したといわれています。一時、金峰山が爆発するとの噂が流れ、荷車に家財を積んで近郊の村々に避難するものも多かったそうです。
熊本市内では死者5人、重軽傷17人、家屋全壊6戸、半壊48戸などの被害が記録されています。
◆西暦1891年(明治24年)7月1日 九州鉄道株式会社 高瀬(玉名市)-春日間が開通、春日駅(現熊本駅)、
池田駅(現上熊本駅)、植木駅も同時に開業しました。
当初の計画では駅は熊本市の中心に近い新町付近に設けられる予定でしたが「煙で洗濯物が汚れる」などと地元が反対、市郊外の春日と池田の2ヶ所に駅が設けられたといわれています。
春日駅は春日村のボウブラ畑の真中に建てられ春日ステンショと一般に呼ばれていました。
(池田駅の詳細は池田校区のページに記載しています。)
◆西暦1893年(明治26年)5月24日 熊本紡績株式会社が春日村に認可されました。
◆西暦1896年(明治29年)2月 百貫小鉄道株式会社 春日村に創立
☆4月13日 夏目漱石第五高等学校に赴任
◆西暦1901年(明治34年)1月1日 池田駅を上熊本駅と改称
◆西暦1906年(明治39年)5月10日 春日村を春日町と改称
春日町は当時、田2.18ha、畑4.4ha、宅地202ha、851戸、人口男1,950人、女1,975人で駅前には旅館や商店が並び、
近くに郡役所、春日警察署、熊本紡績工場がありました。
◆西暦1910年(明治43年)5月31日 春日町で熊本瓦斯株式会社設立総会開催
◆西暦1911年(明治44年) 10月1日 菊池軌道株式会社 上熊本-広町間開通(距離3.9km ドイツ製機関車で所要時間19分)
◆西暦1912年(明治45年)6月9日 熊本軌道百貫線 春日-楢崎間開通
大正時代(1912年~1926年)
◆西暦1912年(大正元年)11月10日 熊本軌道 楢崎-百貫間開通
△西暦1914年(大正3年)7月28日 第一次世界大戦始まる
◆西暦1915年(大正4年)9月8日 高潮で沖新町の堤防決壊 田地の浸水250町歩
◆西暦1921年(大正10年)3月3日 千金甲・釜尾古墳が国の史跡に指定されました。
(千金甲古墳の詳細は小島校区のページに記載)
☆10月1日 熊本市が周辺11か町村と合併(大正の大合併)
人口は70,392人から123,011人となり全国12位、九州では長崎に次いで第2位になりました。
(現在の西区管内では当時の春日町、池田村、花園村、島崎村、横手村、古町村が熊本市と合併)
◆西暦1923年(大正12年)8月1日 菊池軌道株式会社 上熊本-室園間開通
☆10月1日 熊本電気鉄道株式会社 田崎-百貫石間開通
☆12月15日 熊本市役所新庁舎落成
◆西暦1924年(大正13年)8月1日 熊本市営電車開通
熊本駅前-水前寺間及び水道町-浄行寺間 延長13km車両15両
◆西暦1925年(大正14年)3月15日 花岡山招魂社及び陸軍墓地参拝道開通
同年3月20日 熊本市三大事業記念国産共進会開催(入場者133万人、三大事業:市電開通、上水道通水、歩兵第二三連隊移転)
☆4月19日 石塘堰竣工
熊本市二本木の白川に設けられた石塘堰は慶長年間、白川の洪水緩和のため加藤清正によって築造されたものです。白川と坪井川を石塘で分離した時、同時に石塘堰を設け、下流の白坪地区を灌漑していました。
その後、寛永10年細川忠興の命で大改修が行われました。
大正の改良工事では熊本県の直轄工事として、コンクリート工築により堰の長さが43m、幅員2.8m、通水路は第1号堰から16号堰まで16個の堰口が設置されました。
また、白坪村及び城山村方面に流れる用水路の水口に第18号堰口を設け、いかなる大洪水にも十分に排水し得るよう構築したとのことでした。
しかし、坪井川の洪水は以前と変わることなく沿岸の住民を冠水に悩ませ、住民からは改良工事ではなく改悪工事だという声も上がり、県も面目上、同堰の改築には手を触れず、別個の排水用の新川を掘削することになりました。
昭和(1926年~1989年)
◆西暦1927年(昭和2年)9月13日 台風襲来
熊本測候所観測以来最大となる風速26mの風速で熊本市内の家屋被害が甚だしく、さらに有明海沿岸の飽託・玉名・宇土郡、中でも小島町、中島、沖新、百貫石、海路口の各村の被害は甚大でした。
台風上陸と高潮が重なったため、潮の高さが9mの津波となり干拓堤防を破壊し、銭塘村では4kmの奥地まで潮が侵入しました。
当時の熊本市内で死者1人、負傷者3人、家屋の全壊55戸・半壊28戸、春日、古町、一新小学校の校舎にも被害がありました。
◆西暦1928年(昭和3年)6月16日 熊本放送局JOGK開局
東京、大阪、名古屋、広島に続き5番目に開局、仙台、札幌が熊本に続いて開局しました。
☆12月 豊肥本線開通
◆西暦1929年(昭和4年)6月20日 熊本市電第2期線開通
上熊本線段山-辛島町-春竹線春竹間
◆西暦1930年(昭和5年)12月26日 内務省が万日山・本妙寺山・八景水谷・立田山・水前寺・江津湖一帯の地域を
風致地区に指定しました。
◆西暦1931年(昭和6年)6月1日 飽託郡白坪村 熊本市に編入
☆同年から井芹川、坪井川の大改修始まる
熊本県により昭和6年~10年に井芹川、昭和7年~11年に坪井川の大改修が行われ、湾曲部は直線化されました。
また、この改修工事により一駄橋上流で坪井川に合流していた井芹川は万日山西側に付け替えられ現在に至っています。
◆西暦1932年(昭和7年)11月27日 県道熊本小天線開通
◆西暦1933年(昭和8年)1月20日 熊本市-高瀬町間(河内・小天・伊倉経由)でフォード10人乗りバスの運行が開始しされました。
◆西暦1935年(昭和10年)3月24日 熊本市電 上熊本-段山間開通(上熊本線全線開通:新興熊本大博覧会開幕の前日)
☆4月7日 本妙寺裏山の清正公像(北村西望作 約17m)除幕式
☆12月8日 熊本市西部発展期成会 熊本市公会堂で発会式
◆西暦1936年(昭和11年)10月17日 三賢堂開堂式
安達謙蔵(政治家:逓信大臣、内務大臣を歴任)が島崎町(島崎5丁目)に精神修養の道場として三賢堂を建立しました。
(詳細は城西校区のページに記載しています。)
△西暦1941年(昭和16年)12月8日 太平洋戦争始まる
◆西暦1944年(昭和19年)3月24日 熊本市が熊本電気鉄道株式会社を買収しました。
営業線は百貫線(大正12年7月営業開始6.5km)、川尻線(大正15年10月営業開始7.5km)でした。
◆西暦1945年(昭和20年)3月1日 百貫電車廃止
代わりに九州産業交通株式会社の乗合自動車が運行されました。
同年7月1日 熊本市をB29 154機が空襲。新市街、下通、大江町、水道町など市内の大部分が焼失しました。
☆8月10日 熊本市第2次空襲
△8月15日 太平洋戦争終結
☆10月5日 占領軍(アメリカ軍)が上熊本駅着の特別列車で到着
◆西暦1946年(昭和21年)8月1日 ヤミ市一掃へ初手入れ
熊本駅前などで131人が検挙され、米、たばこなどが押収されました。
◆西暦1947年(昭和22年)3月 木下順二「風浪」を発表
◆西暦1948年(昭和23年)10月30日 飽託郡三和町で池上、城山両地区が分村を求めて賛否投票を実施、分村派が圧勝しました。
供出割当の過重不満や民情の違いが原因とされています。
◆西暦1949年(昭和24年)3月23日 飽託郡中島村沖新(現西区沖新町)で堤防の樋門が壊れ、麦畑150町に被害がでました。
☆9月1日 飽託郡三和町から池上村(現西区池上町)が分立
◆西暦1950年(昭和25年)5月1日 飽託郡三和町が城山村、高橋村に分割
◆西暦1952年(昭和27年)1月10日 熊本市青果小売商業組合結成
◆西暦1953年(昭和28年)4月13日 谷隠(谷尾崎町)―金峰山林道2.3km完成
☆6月26日 熊本大水害発生
県下全域に豪雨、白川の大氾濫で熊本市中心部に大きな被害が出ました。死者・行方不明者537人 被害額822億円とされています。
☆7月1日 飽託郡高橋村・城山村・池上村を熊本市に編入
☆7月16日 泰平橋が再び流失、代継橋、白川橋、明午橋、小碩橋が流失
☆7月 県下に赤痢が蔓延、657人がり患(8月には1,000人突破)、51人死亡
☆12月9日 6.26大水害による熊本市の排土作業終わる
◆西暦1954年(昭和29年)4月8日 花岡山に仏舎利塔完成
☆10月1日 市電上熊本-藤崎宮前間2.1km開通
◆西暦1955年(昭和30年)4月1日 飽託郡松尾町を熊本市に編入
◆西暦1956年(昭和31年)1月30日 熊本バンド結成80周年記念式典が花岡山で開催されました。
☆11月17日 市電熊本駅-田崎橋間の延長希望の地元住民が促進期成会を結成しました。
◆西暦1957年(昭和32年)7月26日 熊本市内の井芹川、坪井川が氾濫し、松尾町など金峰山周辺で山津波が発生。
下通などが浸水し、死者171人、家屋全半壊287戸、流失78戸に及ぶ被害となりました。
◆西暦1958年(昭和33年)3月20日 新熊本駅が営業開始
☆4月1日 飽託郡中島村を熊本市に編入
◆西暦1959年(昭和34年)12月24日 市電熊本駅-田崎橋間開通(596m)
◆ 西暦1960年(昭和35年)4月3日 清正公銅像が17年ぶりに再建
☆4月5日 蓮台寺に近代的な下水処理場完成
☆5月16日 6.26大水害で流失した白川の世安橋が完成
☆9月22日 熊本城天守閣再建
☆11月18日 熊本西保健所が完成
◆西暦1961年(昭和36年)9月19日 花園町柿原で弥生式カメ棺発見され、本格的な発掘が始まりました。
☆12月28日 熊本市江南地区白川改修計画が6.26大水害以来8年ぶりに始まりました。白川の新代継橋から蓮台寺までの川幅を広げて水害の解消を図ることが目的です。
◆西暦1962年(昭和37年)1月24日 県下に大雪
五家荘で交通途絶 積雪1.5m
☆6月5日 飽託郡河内芳野村の社会福祉協議会が県下初の奨学金制度を創設しました。
☆8月3日 沖新、小島地区の漁民代表が農薬PCPによって漁業被害があったと熊本市に損害賠償を陳情しました。
☆8月10日 集中豪雨で白川が氾濫し熊本市に災害救助法が適用されました。浸水家屋1,700戸
◆西暦1963年(昭和38年)1月9日 熊本地方に17年ぶりの大雪
死者・不明者6人
☆4月11日 城山水源地設置
☆5月1日 九州農政局が熊本合同庁舎に開局
☆6月3日 松尾北小学校が完全給食を実施、市内44全小学校が完全給食となりました。
☆6月18日 島崎町の聖母会熊本支部待労病院が全焼
☆9月7日 松尾、小島両漁協の共同作業権をめぐる紛争が7年ぶりに解決
☆10月1日 新町から田崎町に移転した新魚市場が開店
田崎町の熊本総合卸売市場は地方卸売市場法に基づく総合市場で鮮魚と青果の両部門があります。敷地18万5,000平方メートルは民営市場では日本一の広さといわれ、熊本市民の台所をまかなっています。青果部門は昭和39年9月1日に開設され、これにより両部門がそろいました。
◆西暦1964年(昭和39年)4月7日 鹿児島本線熊本-荒木間電化と熊本-荒尾間の複線化の起工式が行われました。
☆11月1日 田崎町の熊本総合卸売市場で落成式
◆西暦1965年(昭和40年)7月1日 熊本地方に集中豪雨
白川が溢水して濁流が氾濫し、市内1,200戸が浸水、県下の40校が休校となりました。
☆10月1日 鹿児島本線熊本-荒木間(77.8km)電化完了
熊本-門司間192.1kmの電化完成により、国鉄はこの日より名古屋-熊本間に特急つばめを新設しました。
熊本駅5番ホームで行われた一番列車の発車式には寺本広作熊本県知事、石坂繁熊本市長ら200人が集まり、長距離特急電車の導入を祝ったと新聞で報じられています。
◆西暦1966年(昭和41年)2月17日 熊本ミカンがソ連に初輸出
小天農協がみかん2.5トンを出荷しました。
☆9月 城山半田に市営ごみ焼却場が完成
◆西暦1967年(昭和42年)4月1日 町内自治会、熊本市農協が発足
☆8月4日 松尾町要江港と本渡-島原を結ぶホバークラフトが三角港で試走しました。(9月就航)
◆西暦1968年(昭和43年)11月29日 飽託郡河内地区の県営農地保全事業起工
☆12月 定日定路ごみ袋収集開始に伴い、市内全家庭のゴミ箱撤去作業が始まりました。
◆西暦1969年(昭和44年)3月5日 熊本交通センターが桜町の熊本県庁跡地に完成。翌6日からバス運行が始まりました。
☆8月21日 白川沿いの不法建築物撤去を進める白川不法占用対策本部発足
◆西暦1970年(昭和45年)4月11日 飽託郡河内芳野村の県果樹試験場の松橋町豊福移転が決定しました。
☆4月30日 市電上熊本-藤崎宮線、南熊本-辛島町線の廃止に伴い、サヨナラ花電車が運行されました。
☆6月1日 熊本市の消防団が1校区1分団制に改編されました。
☆7月21日 城山第3水源地が給水を開始
☆10月1日 国鉄鹿児島本線熊本-鹿児島間の電化完成
熊本駅で電車の発車式が行われました。
◆西暦1971年(昭和46年)4月1日 飽託郡河内芳野、天明両村が町制を施行しました。
☆4月1日 高遊原に新熊本空港オープン
☆6月30日 九州縦貫高速道の植木-熊本間完成
◆西暦1973年(昭和48年)11月1日 飽託郡4町の救急業務受託
◆西暦1974年(昭和49年)3月23日 熊本新港計画発表
☆4月23日 熊本港重要港湾に指定
☆7月10日 熊本西老人福祉センターが小島町に完成
☆10月4日 西部市民センターがオープン
◆西暦1975年(昭和50年)3月20日 金峰山一帯を都市公園に指定
熊本市は西山地域開発の中心となる松尾町平山の金峰山西側中腹、岩戸観音などの一帯を都市公園に指定しました。
範囲は岩戸観音を中心に北は県道植木河内線、南は松尾町平山、東はパイロット幹線道路、西派河内川に囲まれた一帯82,793平方メートル。
☆3月10日 山陽新幹線博多駅開業
☆4月1日 熊本県立熊本西高校開校
☆6月25日 熊本市内で集中豪雨
坪井川、井芹川などが氾濫し、2,800戸が浸水しました。
☆10月20日 金峰山少年自然の家オープン
◆西暦1976年(昭和51年)1月20日 二本木の旧東雲楼焼ける
☆1月24日 熊本地方で異常低温 熊本市最低気温氷点下7.6度
☆5月13日 熊本市登録文化財「横手の五郎尊」が子どもの火遊びで焼ける
◆西暦1977年(昭和52年)
☆5月23日 熊本市人口50万人突破 全国で18番目
☆11月15日 ミカンブランデー「河内火酒」発売
☆11月20日 島崎町に島田美術館開館
◆西暦1978年(昭和53年)3月3日 白川橋際の不法建築撤去のため、移転先として二本木グラウンドに改良住宅を建設
◆西暦1979年(昭和54年)2月3日 小島・沖新地先に建設される熊本新港に関して地元9漁協と基本合意がなされました。
☆4月26日 花園町に熊本職業訓練短期大学が開校
☆4月 熊本市漁業後継者クラブ発足
☆5月1日 沖新町に熊本県の熊本新港事務所開設
☆10月16日 谷尾崎の弘済寮が花園に移転改築し、明生園と改称されました。
◆西暦1980年(昭和55年)4月1日 花園生きがい作業所開所
☆8月30日 熊本市に集中豪雨 6,000戸浸水 4人死亡
◆西暦1981年(昭和56年)5月2日 熊本新港建設に伴う漁業補償の一部 沖新漁協と熊本県の交渉が妥結しました。
☆7月 熊本市総合計画基本計画決定
☆11月4日 熊本市新庁舎が落成 総工費110億円
◆西暦1982年(昭和57年)5月1日 知的障がい者援護施設「はなぞの学苑」開所
☆10月10日 上熊本に熊本県立体育館が開館
☆11月 二本木石塘の不法住宅の移転が交渉まとまりました。(最終 8家屋 7世帯)
◆西暦1983年(昭和58年)4月1日 熊本新港の第二次整備計画は岸壁12バースをはじめ総事業費600億円を見込む
☆4月1日 河内町の芳野コミュニティセンター落成
◆西暦1984年(昭和59年)4月1日 飽託郡4町の消防事務受託開始
☆11月17日 熊本新港建設に伴う熊本県と関係9漁協との漁業交渉大筋合意
◆西暦1985年(昭和60年)2月1日 熊本新港建設で沖新漁協が漁業権の一部を放棄することで熊本県と協定書を締結しました。
☆11月17日 熊本新港建設に伴う熊本県と関係9漁協との漁業交渉大筋合意
☆4月13日 上熊本駅前に「夏目漱石像」建立 明治29年五高教授として来熊した記念日
◆西暦1986年(昭和61年)4月1日 西部清掃工場が稼動
☆6月1日 熊本駅前で観光朝市が始まる
☆10月1日 熊本県が熊本平野西部の地盤沈下は最高が8年で16センチと県議会に報告しました。
◆西暦1987年(昭和62年)6月20日 熊本県が熊本新港の建設計画を縮小 面積は3分の1の130ha
岸壁は最大3万トン級を含む44バースから最大1.5万トン12バースに削減することを表明しました。
☆9月23日 慶徳消防署米屋町に移転新築 西消防署へ改称
◆西暦1988年(昭和63年)4月1日 井芹中学校開校
☆8月28日 JR九州のSL「あそBOY」が熊本-宮地間で営業運転開始
平成(1989年~ )
◆昭和64年1月7日 天皇陛下崩御 皇太子明仁親王即位「平成」と改元
◆西暦1989年(平成元年)4月1日 熊本市 市制100周年記念行事「熊本百彩」開催
◆西暦1990年(平成2年)7月4日 アルベルト・フジモリ ペルー大統領が来熊。
両親の故郷である河内町を訪問し、名誉町民第1号を贈られました。
☆8月27日 花園市民センター開館
☆9月1日 知的障がい者援護施設「平成学園」開園
☆10月26日 熊本市と熊本県は熊本駅周辺の整備計画を発表
白川、万日山、花岡山一帯200haを副都心として商業、文化、情報を集積させる方針を公表しました。
◆西暦1991年(平成3年)2月1日 飽託郡4町(河内、北部、飽田、天明)が熊本市と合併。
合併により熊本市の人口は62万人を超える全国15位の都市となりました。
☆4月6日 JR熊本駅新ビル開業
☆4月11日 熊本市総合ビジネス専門学校開校(西区上熊本3丁目)
☆6月1日 熊本市みかんの里振興センター(西区河内町船津)開館
☆6月3日 雲仙普賢岳で大火砕流発生
午後4時ごろから深夜にかけて大規模な火砕流が発生し、火口から4.3kmを落下、島原の民家や山林などを焼き、警備中の警官や取材中の報道関係者など死者、行方不明者43人を出しました。
火砕流は噴煙を伴い午後4時30分ごろから黒い雲が熊本の空を覆い、夕方のように暗くなった空から熊本市はもとより県下一円に黒い雨が降り注ぎ県市民を驚かせました。
大量の降灰と黒い雨は2日、3日と続き、市街地(屋根瓦、洗濯物、自動車等)や農地(農作物)など広範に襲いかかりました。
☆9月27日 超大型の台風19号が熊本地方を直撃
午後4時佐世保市の南に上陸、最大瞬間風速は阿蘇山で60.9m、熊本市では52.6mと熊本地方気象台観測史上最大を記録しました。
市内交通機関はマヒし、市内全世帯の55.7%の18万9,300世帯が停電しました。
熊本市消防局のまとめによると死者1人、負傷者16人、家屋全壊79棟、半壊678棟、一部損壊63,752棟と被害は甚大でした。
熊本城も天守閣の瓦や漆喰の損傷、重要文化財の長塀の傾倒など大きな被害を受けました。
30日にまとめられた熊本県調査の被害総額は82億4,000万円に上りました。10月2日に熊本市は災害救助法の適用を受けています。
野菜の値段は急騰し、復旧用の屋根瓦の需要が急増、県は便乗値上防止を指導、市は災害臨時相談所を本庁、総合支所に開設して市民からの相談受付に対応しました。
◆西暦1992年(平成4年)1月26日 西回りバイパス建設賛成の「西回りバイパス建設促進期成会(花園校区)」結成
☆5月30日 10階建ての市営住宅「上高橋団地」完成
☆9月1日 熊本駅前北地区第一種市街地再開発事業完了
☆12月22日 長寿の里デイサービスセンター(西区城山薬師町)完成
☆西暦1993年(平成5年)3月1日 熊本港開港
熊本-島原間にフェリー就航
☆10月1日 地域福祉センター(現コミュニティセンター)開設
(松尾・中島・京陵・白山・慶徳の5地域)
◆西暦1994年(平成6年)2月1日 熊本県と沖新漁協の漁業補償交渉が妥結 熊本港拡張で約113haの漁業権消滅に伴うもの
☆5月15日 熊本港に高速消防救助艇「金峰」を配備
☆10月20日 西部水道センター(西区池上町)完成
◆西暦1995年(平成7年)1月17日 阪神淡路大震災発生
☆3月24日 熊本港輸入地域(FAZ)促進計画を通産・運輸・農水・自治4省が承認
☆4月10日 地域福祉センター(現コミュニティセンター)開設
(城山・帯山・北部の3地域)
☆5月25日 河内白浜地区に「21世紀型水田農業モデルほ場」完成
☆5月31日 九州新幹線の熊本駅整備調整事業起工式を熊本駅前で挙行
◆西暦1996年(平成8年)4月1日 熊本市が中核市に移行
☆4月 地域福祉センター(現コミュニティセンター)開設
(小島・松尾西・向山・庄口の4地域)
◆西暦1997年(平成9年)4月18日 国の文化財保護委員会が池上町池辺寺跡の国指定史跡を答申
☆6月28日 熊本県と熊本市は九州新幹線開業に伴う熊本駅周辺整備に関して基本合意し、協定書を交わす
☆7月2日 熊本-本渡間高速客船「マリンビュー」就航記念式典
◆西暦1998年(平成10年)3月21日 九州新幹線 船小屋-八代間建設工事の起工式開催
☆4月1日 熊本県と熊本市は熊本駅周辺整備合同事務所を開設
☆5月27日 熊本港と島原港を30分で結ぶ高速フェリー「オーシャンアロー」就航
◆西暦1999年(平成11年)1月19日 井戸水から硝酸性窒素検出
河内町、北部町の井戸30箇所から区の基準を上回る硝酸、亜硝酸性窒素が検出されていることが判明しました。
☆8月18日 県道熊本港線と都市計画道路野口清水線の一部開通
熊本港線は国道57号東バイパスと繋がりました。
☆9月24日 台風18号県下を直撃
午前4時ごろ天草市牛深付近に上陸、天草を縦断して、午前6時ごろに荒尾市に再上陸、北上しました。
最大瞬間風速は天草市牛深で66.2m、阿蘇山54m、熊本市49mを記録。
大潮による満潮と重なり高潮が発生、宇城市不知火町松合では民家が高潮にのまれて60世帯水没、12人が死亡するなどの大惨事となりました。停電は一時県下で48万世帯に及びました。10月6日に熊本市は災害救助法の適用を受けました。
☆10月23日 くまもと未来国体の秋季大会が熊本市などで開幕
◆西暦2000年(平成12年)4月 市立商業高等学校が市立千原台高等学校と改称。商業科を廃止し、情報科と普通科を設置。
◆西暦2004年(平成16年)3月13日 九州新幹線(鹿児島ルート)新八代-鹿児島中央間開業
全線開業までの間、博多-新八代間は「リレーつばめ」が運行されました。
◆西暦2007年(平成19年) 熊本城築城400年
◆西暦2008年(平成20年)10月6日 熊本市と富合町合併
◆西暦2010年(平成22年)3月23日 熊本市と城南町、植木町合併
◆西暦2011年(平成23年)3月11日 東日本大震災発生
午後2時46分 仙台市東方沖70kmの太平洋の海底を震源とするマグニチュード9.0の大地震が発生。
この地震により最大遡上高40mにも上る巨大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸に壊滅的な被害をもたらしました。
☆3月12日 九州新幹線(鹿児島ルート)全線開業
東日本大震災の翌日、九州新幹線博多駅-鹿児島中央駅256.8kmが開通し、全線開業となりました。
最高速度260km/h、最速で熊本-博多間は34分、熊本-新大阪間は2時間59分で結ばれることになりました。
予定されていたオープニングセレモニーは全て中止になりました。
☆10月1日 「くまもと森都心プラザ」プレオープン
(春日校区のページに詳細を記載しています。)
◆西暦2012年(平成24年)4月1日 熊本市が政令指定都市に移行
熊本市に5つの区(中央、東、西、南、北)が誕生し、それぞれに区役所が置かれました。(西区役所発足)
☆3月24日 「くまもと森都心プラザ」グランドオープン
☆7月11日~14日 九州北部豪雨発生
◆西暦2013年(平成25年)3月 西区まちづくりビジョン策定
めざす区の姿「金峰望む 華のあるまち 西区」
(詳細は「まちづくりビジョン」のページに記載しています。)
☆8月末 熊本港に大型クルーズ客船が着岸可能となる長さ110mの渓流施設が完成しました。
☆9月27日 外航クルーズ船「にっぽん丸」(約2万2千トン)寄港
☆10月18日 外航クルーズ船「ぱしふぃっくびいなす」(約2万6千トン:日本籍で2番目に大きい)熊本港初寄港
☆10月26日~27日 第33回全国豊かな海づくり大会開催
水産資源の維持培養や海域環境保全の大切さを全国民に伝えるとともに水産業の振興を図ることを目的として、天皇皇后両陛下の御臨席を賜り毎年全国各地を巡りながら行われている大会で、熊本県では今回初めて開催されました。
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【第33回全国豊かな海づくり大会 放流の様子】 |
◆西暦2014年(平成26年)10月3日 熊本市電 水戸岡鋭治氏デザインの新型超低床電車「COCORO」運行開始
市電開業90周年を記念して導入されたもので、観光客にも利用しやすいよう土休日は固定ダイヤで運行されています。
◆西暦2015年(平成27年)7月18日~8月2日
海フェスタくまもと開催
海フェスタは海のめぐみに感謝し、広く海に親しむことを目的に毎年全国の主な港湾都市で開催されている日本最大の「海の祭典」で、熊本港を中心会場に県内の有明海沿岸の港で多彩なイベントが繰り広げられました。
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海上自衛隊護衛艦「とね」 | 練習帆船「海王丸」 |
一般公開された海上自衛隊護衛艦「とね」と練習帆船「海王丸」
◆西暦2016年(平成28年)4月14日、4月16日 熊本地震発生
4月14日午後9時26分 マグニチュード6.5、最大震度7の前震が発生 西区では震度6弱を記録しました。
4月16日午前1時25分 マグニチュード7.3、最大震度7の本震が発生 西区では震度6強を記録しました。
震度7の地震が立て続けに2回発生したのは、観測史上初。一連の地震で震度6弱以上の地震が7回発生したのも、観測史上初となりました。
熊本市の人的被害(平成29年1月31日現在) 死者64人(直接死6人、関連死58人) 重傷者711人
住家被害(平成29年1月31日現在) 全壊5,669件 大規模半壊8,795件
半壊35,798件 一部損壊67,113件
また、余震が続き、ライフラインも停止したことから熊本市の最大避難者数は110,750人(4/17)にのぼりました。