歴史サロン花畑とは
熊本市歴史文書資料室では、「新熊本市史」及び資料室の活用促進のため、歴史専門家による「歴史サロン花畑」を開催しています。「歴史談話室」では熊本市の歴史や古文書・掛け軸の文字等についての質問や相談にお応えし、「歴史講座」では年度ごとに設けたテーマに沿った講話を行います。
▶熊本市歴史文書資料室
「歴史談話室」
「歴史談話室」では、熊本市の歴史や、古文書・掛け軸の文字等についての質問や相談に専門家がお応えします。
対象・日時・場所
講師
- 森山秀吉さん(元熊本大学教授)・林孝子さん(熊本県漢詩連盟常任理事)
- 松崎範子さん(肥後医育ミュージアム研究員)
- 柳田快明さん(熊本中世史研究会代表)
参加方法・注意事項
参加方法
※開催前月の20日(20日が土日祝日の場合は翌開室日)午前10時から受付を開始いたします
※予約のない当日の来室ではご参加いただけません
- 相談時間の15分前にご来室ください。
- 相談資料の複写を2部(講師用・当室記録用)ご用意ください。
- 相談時間は上限30分です。相談後の速やかな退室にご協力ください。
注意事項など
- 当日に発熱・咳・くしゃみなどの風邪症状がある方、体調がすぐれない方はご参加いただけません。
- 対面近距離での会話となりますため、相談中はマスク着用にご協力をお願いしております。
- 混雑状態を避けるため、来室時間・相談時間の順守、ご相談後の速やかな退室にご協力ください。
- 会場には、駐車場、駐輪場がございませんので、公共交通機関をご利用下さい。市役所の駐車場、駐輪場をご利用の場合は有料となります(詳しくは熊本市役所へのアクセス
をご確認ください) - 歴史談話室開催中は、通常の資料利用はできません。ご協力のほどよろしくお願いいたします。
「歴史講座」
令和8(2026)年度の「歴史講座」は、「西南戦争と熊本」をテーマに6人の専門家が講話します。
対象・日時・場所
参加方法・注意事項
参加方法
注意事項など
- 当日に発熱・咳・くしゃみなどの風邪症状がある方、体調がすぐれない方はご参加いただけません。
- 有料駐車場はありますが、台数に限りがありますので、可能であれば公共交通機関をご利用ください。
- 変更等が生じた場合はHPに掲載しますのでご確認ください。
令和8(2026)年度講座「西南戦争と熊本」
第1回 令和8年5月26日(申込5月11日~24日)
演題 西南戦争後の戦災復興と近代熊本の都市計画
講師 美濃口紀子さん(熊本市総務課文化財保護審議員)
第2回 令和8年7月28日(申込7月13日~26日)
演題 県庁の歴史的公文書 「熊本県公文類纂」に見る西南戦争
講師 丸山伸治さん(熊本県立図書館学芸調査課主幹)
第3回 令和8年9月29日(申込9月14日~27日)
演題 百五十年前の熊本の混沌 ―熊本バンド・県民会・神風連の乱―
講師 三澤純さん(熊本大学文学部教授)
第4回 令和8年11月24日(申込11月9日~22日)
演題 西南戦争下の地域社会 ―「射界の清掃」・旧藩主家・鎮撫隊―
講師 今村直樹さん(熊本大学永青文庫研究センター准教授)
第5回 令和9年1月26日(申込1月12日~24日)
演題 日記資料からみる西南戦争 ―民衆が記録した明治10年―
講師 木山貴満さん(熊本博物館学芸員)
第6回 令和9年3月23日(申込3月8日~21日)
演題 西南戦争がのこしたもの ―顕彰・慰霊・責務―
講師 西村沙保里さん(熊本市文化財課文化財保護主任主事)
令和7(2025)年度講座「くまもとの人々の営みと暮らし」
※都合により、第4回・第6回講座の内容・講師が変更になりました
第1回 令和7年5月27日開催(終了)
第2回 令和7年7月22日開催(終了)
第3回 令和7年9月30日開催(終了)

演題 「熊本城文久度二の丸御屋敷のインテリア~鳳台院・顕光院の国許住まい」
講師 小粥祐子さん(崇城大学工学部准教授)
第4回 令和7年11月25日開催(終了)
第5回 令和8年1月27日(終了)

演題 「大学史資料からみる熊本大学設置への道程」
講師 香室結美さん(熊本大学文書館特任助教)
第6回 令和8年3月24日(終了)

演題 「水のくらしと信仰」
講師 吉留徹さん(熊本市文化財課職員)
令和6(2024)年度講座「公文書が語る熊本の歴史」
第1回 令和6年5月28日開催(終了)
第2回 令和6年7月23日開催(終了)
第3回 令和6年9月24日開催(終了)
第4回 令和6年11月26日開催(終了)
第5回 令和7年1月28日開催(終了)
第6回 令和7年3月25日開催(終了)
令和5(2023)年度講座「歴史に隠れた熊本の偉人たち」
第1回 令和5年5月23日開催(終了)

演題 「軍事教育 美當一調」
講師 安田宗生さん(熊本大学名誉教授)
▶▶ 美當一調 とは ◀◀
日清・北清・日露の戦争談を引っ提げて全国各地、韓国、中国、ハワイでも公演し、「老幼男女その名を知らざる者なし」といわれ、一世を風靡した軍談師。
本名を尾藤新也と言い、弘化4年(1847)12月、藩の雅楽師範(禄高150石)である尾藤家に生まれる。藩校時習館に学び、第二次長州征伐・戊辰の役に従軍。明治10年の戦役では熊本隊に参加し、田原坂の戦闘で捕虜となって100余日獄に繋がれる。その後、得意の軍談で身を立てるため営業鑑札を得ようとするも、芸人は国家に益なき遊芸の徒とみなされていた当時、士族が芸人になるとは正気の沙汰ではないと猛反対に合う。
平民となって芸人活動を開始した一調は、後年、宮崎滔天をして「蔑如されたる浪花節を今日の地位に高めたのは金鵄勲章もの」といわしめ、敬称付き、本名で呼ばれる唯一の芸人となる。
(参考『美當一調・桃中軒雲右衛門関係新聞資料』安田宗生編)
第2回 令和5年7月25日開催(終了)

演題 「九州における観応の擾乱~河尻幸俊と足利直冬~」
講師 柳田快明さん(熊本中世史研究会代表)
▶▶ 河尻幸俊 とは ◀◀
肥後の在地領主。経済力を駆使して京都に館を所有し、幕府要人とも接点を持つ。直冬から守護職に任じられる。
▶▶ 観応の擾乱 とは ◀◀
観応年間(1350~52)を中心に戦われた、室町幕府中枢の分裂による大規模な内乱。将軍足利尊氏の弟直義と、尊氏の執事高師直・師泰兄弟の対立を発端とする。
足利直冬は尊氏の長子。母越前の局の出自が低かったために早くから疎まれ、直義の養子となる。貞和5年(1349)長門探題に赴任途中師直の追撃にあい、備後国鞆の浦から肥後国御家人河尻幸俊らの導きで川尻津へ下る。
(参考『新熊本市史 通史編第二巻 中世』)
第3回 令和5年9月26日開催(終了)

演題 「熊本藩医学校『再春館』と村井見朴・椿寿父子」
講師 松﨑範子さん(肥後医育ミュージアム研究員)
▶▶ 村井見朴・椿寿 とは ◀◀
熊本藩は全国に先駆けて宝暦6年(1756)に医学校と薬園を設立する。藩主重賢の命を受け、開講に尽力し、初代筆頭教授となったのは村井見朴である。
見朴は新鍛冶屋町で医業を開いた父に次ぐ二代目。名医の呼び声高く、町医でありながら藩主重賢の治療に当たることもあった。医学への大いなる関心と探求心に富み、医生の教育にも熱心で、開いた家塾復陽洞は再春館設立の母体となる。
椿寿は見朴の長子。再春館設立時すでに失明していた父を支えて、実質的な基礎固めをするが、在任期間は長くない。見朴死後再春館を辞し、日本漢方医学を体系づけたとされる京都の吉益東洞門下となる。熊本に戻った椿寿は家塾で多くの門人を指導し、その活動が評価されて寛政8年家臣に召し抱えられ、藩医として医学教育に関わることとなる。
(参考「熊本藩の医学校と薬園-村井椿寿(琴山)の薬物会をもとに-」松﨑範子)
第4回 令和5年11月28日開催(終了)

演題 「横井小楠の暗殺」
講師 猪飼隆明さん(大阪大学名誉教授)
▶▶ 横井小楠 とは ◀◀
幕末維新期の思想家で、経綸の人。「仁政」の実現を目標とし、堯舜孔子の道を日本だけでなく世界に実現させようと、その生涯を捧げたひと。
天保10年(1839)、時習館改革の半ばで江戸遊学を命じられ、江戸で水戸の藤田東湖や幕府要人らと交わり多くを学ぶも、酒失により帰国、ついで謹慎を命じられたが、その間猛烈に旧来の学問を問い直し、天保十四年ごろに家老の長岡監物らと実学派を結成した。
肥後藩権力の中枢から排された小楠を、安政5年(1858)福井藩主松平春獄がブレーンとして招聘。殖産貿易による富国策を進め、幕政改革にも関与する。しかし文久2年(1862)に一度目の暗殺未遂事件が起きる。宴席で刺客に襲われ逃げたことが士道忘却とされ、帰国後士籍を剥奪され蟄居。
熊本・沼山津で思索、諸国の志士との交流を続け、王政復古クーデターのあと新政府の徴士・参与となったが、明治2年1月5日攘夷派により暗殺された。
(参考『横井小楠と小河一敏』『人物叢書横井小楠』ほか)
第5回 令和6年1月23日開催(終了)

演題 「中国上海の新聞人・井手三郎」
講師 木山貴満さん(熊本博物館学芸員)
▶▶ 井手三郎 とは ◀◀
明治期~昭和初期のジャーナリスト。
文久3年(1863)5月、池田手永中島村(現西区中島町)に生まれる。幼いころから漢籍を学び、済々黌入学後は中国語を修めた。明治20年(1887)より清国に留学し、上海・長江・漢口から更に朝鮮各地を巡る。明治27(1894)の日清戦争では通訳官として従軍する。
明治30年(1897)、乃木希典(当時台湾総督)の招きで渡台し、前田彪らとともに新聞「福報」を買収。福建省福州で中国語新聞「閩報」と改題して発行した。明治31年(1898)にはアジア主義団体の東亞同文会の上海支部長となり、特に対中問題専門家の育成に尽くす。井手はその後30年余りにわたって上海を中心に活動し、漢字新聞「同文滬報」、邦字新聞「上海日報」などを発行・経営。現地の世論形成をリードした。明治45年(1912)には衆議院議員選挙に当選するなど、後年は政治家としても活動した。
第6回 令和6年3月26日開催(終了)

演題 「社寺の復興と鹿子木寂心~被災文化財からの再考~」
講師 松永直輝さん(文化財課文化財保護主任主事)
▶▶ 鹿子木寂心 とは ◀◀
室町時代から戦国時代にかけての肥後の有力国人。
生年不詳~天文18年(1549年)。名は親員(ちかかず)。北区北迫町には寂心の墓石を巻き込んでいると伝わる大楠があり、『寂心さんのクスノキ』として親しまれており、一国人でありながら寂心の知名度は高い。寂心は鎌倉時代の鹿子木西荘地頭の鹿子木氏の子孫と言われている。寂心の事績は多岐にわたり、阿蘇山衆徒と彦山の紛争の仲介、隈本城(古城)の築城などがよく知られている。このほかにも西区松尾町の霊巌洞に和歌を遺したほか、三条西実隆から秘蔵の源氏物語を購入するなど文事にも功績を残している。また、藤崎八旛宮の復興や勅額下賜についての尽力、自らも関わった戦乱によって炎上した大慈寺の再興など、領内社寺の振興にも大きな功績を残している。
令和4(2022)年度講座「熊本市のあゆみ」
第1回 令和4年12月1日開催(終了)
第2回 令和5年2月9日開催(終了)