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熊本水遺産
最終更新日:2022年11月18日
環境局 環境推進部 水保全課
TEL:
096-328-2436
096-328-2436
FAX:096-359-9945
mizuhozen@city.kumamoto.lg.jp
熊本水遺産概要・リーフレット
熊本水遺産概要・リーフレット
水道・水循環(1~3)
1.熊本地域の水循環系(くまもとちいきのみずじゅんかんけい)
世界有数のカルデラ・阿蘇の噴火活動でできた熊本の大地は水を育みやすい性質をもつ。約400年前、加藤清正公などがカルデラ域を源とする白川に井堰をつくり、熊本地域に多くの水田を開いたため、大量の水が地下に浸透する。自然と人の営みが組み合わさった熊本地域の水循環系は地域独特であり、今も熊本市民の生活を支えている。
[場所]熊本市含む熊本地域
2.立田山配水池(たつだやまはいすいち)
立田山配水池は大正11年8月13日から工事に着工。当時はブルドーザーなどの重機がなく、全て人力に頼る難工事の末、ようやく完成した。大正13年11月27日の上水道完成以来八景水谷水源地と並び、本市の上水道の歴史では重要な施設となっている。現在も市内各所に安全でおいしい水道水を配水しているほか、毎年ツツジの咲く春には一般開放も行われている。
[場所]熊本市中央区黒髪4丁目
3.健軍水源地 (けんぐんすいげんち)
健軍水源地は市全体の水道水の1/4を賄う熊本市最大の水源地であり、自噴する井戸は市内水源地のうちここだけである。豊かで清冽な本市の水道水を象徴する施設である。
[場所]熊本市東区水源1丁目1番1号
湧水・川等(4~44)
4.御手洗さん(みたらいさん)
植木町清水地区の菅原神社にある湧水で、かつては地域の方が洗濯したり、野菜を洗ったりした洗い場が今も残る。御手洗さんの由来は、神功皇后が4世紀、朝鮮半島への遠征途中に立ち寄られ、手を洗ったと言う伝説からきている。神社境内には豊前街道沿いの大清水川(現千田川)に架かっていた「三十六の眼鏡橋」が移設されている。
[場所]熊本市北区植木町清水
5.内の北井川(うちのきたいがわ)
豊前街道沿いにひっそりと佇む湧水。岩壁に放牛の石仏(74体目)が祀られている。水が豊富に沸き、涼しい木陰もあり、かつては旅人の憩いの場であった。
[場所]熊本市北区植木町内
6.神の元水源(しんのもとすいげん)
玉東町との境、JR鹿児島本線田原坂駅より徒歩約10分程の那知山のふもとにある湧水である。山裾の岩間から湧水しており、水量は多い。水量は昔と変わらず、水道が普及するまでは生活用水として使用され、現在は近くを流れる木葉川西側の水田の用水として利用されている。
[場所]熊本市北区植木町那知
7.菱形の池(ひしがたのいけ)
菱形小学校の近くにある菱形の形をした小さな池である。欽明天皇の時代、八幡神がこの池に出現し、自らが応神天皇の生まれ変わりであることを告げたという。この伝説にちなみ、江戸時代に現在の池が作られたと言われている。
[場所]熊本市北区植木町円台寺
8.池の川水源(いけのかわすいげん)
植木町有泉にある湧水で、豊かな水量で古くから地区の人々の暮らしを支えてきた。泉のほとりに設けられた洗い場では、洗濯機が普及した現在、洗濯をする人は見かけなくなったが、野菜の泥を落としたり、米を研いだりしに来る人の姿が見うけられる。有泉地区では毎年6月、池の川で近くのお堂の石仏を洗う「堂さんあらい」が行われている。
[場所]熊本市北区植木町有泉
9.小野の泉水公園(おののせんすいこうえん)
平安時代の絶世の美女「小野小町」が、誕生時ここの泉の水を産湯に使ったという伝説が残る。池内では岩の隙間や池底から湧水がみられ、古庭園名残の池畔にある小町堂には、小野小町像が安置されているほか、公園内には「正院眼鏡橋」や「滴水の眼鏡橋」も移設されている。
[場所]熊本市北区植木町小野
10.坪井川源水点「水口」(つぼいがわげんすいてん「みずぐち」 )
坪井川の上流を意味する「川上」校区に、地域の人たちが坪井川の源流の一つとしている湧水地「水口」がある。かつては地域の生活用水として大切に利用され、河童像が置かれていた。この河童像には、鎮座の場所を転々とした伝承が残り、現在は井上地区のお堂で祀られている。現在、湧水量は減っているが、河童像の伝承とともに地域で大切にされている湧水地である。
[場所]熊本市北区改寄町
11.小清水の池 (こそずのいけ)
台地の崖下からの湧水が池をつくり、農業用水として利用されている。学校にプールがなかった頃、この辺りでは一番の水浴び場であった。夏の土用の頃になると、近隣の井上地区にある河童像のお堂で、子どもたちに団子を配り、水難事故の防止を願った。おかげで、この池で溺れて亡くなった子どもは一人もいないという。現在、湧水量は減っているが、河童像の伝承とともに地域で大切にされている湧水地である。
[場所]熊本市北区改寄町
12.太郎迫神社の湧水(たろうさこじんじゃのゆうすい)
立福寺町にある太郎迫神社の境内から清水が湧き出し、神社入口に湧水を集めた水場がある。今も地域の人たちが、農業用などに利用している湧水である。
[場所]熊本市北区立福寺町
13.五丁(上古閑)の妙見さん (ごちょう(うえんこが)のみょうけんさん )
地域共同の水場として古くから地域の暮らしを支えてきた湧水。木立の陰にひっそりと佇む水場だが、東側には井芹川沿いに田畑が明るく開けていて、牧歌的な里の雰囲気を感じさせてくれる。
[場所]熊本市北区貢町
14.瑞巌寺跡 (ずいがんじあと)
瑞巌寺跡は、江戸時代の庭園が残り、豊かな緑と湧き出した清水が相まって、風光明媚の地をなしている。市指定の名勝・史跡である。瑞厳寺公園はホタルの名所としても知られている。
[場所]熊本市北区貢町
15.年神さんの湧水(としのかみさんのゆうすい)
高平小学校附近にある京町台地の東側斜面下の住宅街の中にある湧水である。一帯は市条例で環境保護地区に指定され、美観風致が優れた環境にある。年神社が鎮座し、古くから大切にされてきた土地の湧水で、地元では「年神(としのかみ)さん」と呼び、毎月清掃が行われている。
[場所]熊本市北区高平1丁目
16.八景水谷 (はけのみや)
八景水谷の地名は、谷水が出る「吐け(ハケ)」という地名に、3代藩主細川綱利公がお茶屋をつくり八景を詠んだことが重なったことに由来する。熊本市上水道発祥の地として、水源地、水道記念館、水の科学館など水道関連施設があり、本市の水の歴史を語る上で欠かせない存在である。水と緑の公園として、今も市民に親しまれている。
[場所]熊本市北区八景水谷1丁目
17.亀井妙見池(かめいみょうけんいけ)
かつては亀井神社脇の池からの豊富な湧水が、飲料だけでなく田畑を潤していたとされる。湧水は昭和40年代から減少し、50年代から60年代にかけては枯渇したとされるが、現在も洗い場跡がみられ、ほとりには水神様も祀られるなど水神信仰も残っている。現在、地元が中心となり「湧水池の復活」を目指すなど保全活動が続けられている。
[場所]熊本市北区清水亀井町
18.天水湖 (てんすいこ)
明治5年(1872)、明治天皇の熊本行幸のとき献上された水で、この水を「天長水」、湧水池を「天水湖」と呼ぶようになったという。由緒ある湧水である。
[場所]熊本市西区河内町白浜
19.鑪水(たたらみず)
樹齢600年以上というイチョウの根元から湧き出る清水で、古名は轟水といい、肥後國誌では熊本の三轟の一つに数えられる。製鉄を意味する鑪(たたら)の名を冠し、その昔製鉄に使われた歴史を物語る湧水である。
[場所]熊本市西区河内町船津
20.上川床の湧水 (かみかわどこのゆうすい )
川床地区の県道101号沿い北側の崖面に、地層の露頭から幾筋もの清水が流れ落ちている。崖面下部の帯水層から地下水が湧き出しており、バームクーヘンのように幾重にも重なった地層を観察できる興味深い場所でもある。
[場所]熊本市西区河内町岳
21.鼓ヶ滝 (つづみがたき)
金峰山カルデラの渓谷にあり、景勝地「肥後耶馬渓」の見所の一つ。平安時代には、清少納言の父とされる肥後国司・清原元輔がこの滝を詠んでいる。現在は、道路が高いため滝つぼに近づけず、また山が荒れるなどして、かつての魅力が薄れている。
[場所]熊本市西区河内町野出と西区松尾町平山の境、河内川
22.雲巌禅寺(うんがんぜんじ )
宮本武蔵が五輪書を書いた霊巌洞があることで有名。本尊の岩戸観音は平安時代女流歌人桧垣も厚く信仰した。古くから金峰山西麓の湧水を生活用水に使い、清澄な湧水が境内の水屋に溢れている。
[場所]熊本市西区松尾町平山
23.平山(北・南)の湧水 (ひらやま(きた・みなみ)のゆうすい )
みかん畑に囲まれた平山地区の生活を支えてきた湧水で、北と南の湧水がある。湧水地には揚水ポンプの吸い込み口のパイプが何本も入っていて生活感が漂う。地図ではわかりにくいが集落を歩いてみると不思議とたどり着く。
[場所]熊本市西区松尾町平山
24.いんの川 (いんのかわ )
梅洞地区の集落の中にひっそりと佇む湧水で、生活用水として利用され、野菜などを洗う姿が今も見られる。奥の水口は囲われていて、覗き込むと砂を巻き上げながら湧水している。
[場所]熊本市西区松尾町上松尾(梅洞)
25.天福寺(てんぷくじ)
1678年に肥後藩主細川綱利の発願により開山された寺で、細川家歴代の祈願所として知られる。金峰山の湧水が引かれ、参拝者は境内の手水として触れることができる。境内の鶏が湧水をついばむ姿が愛らしい。
[場所]熊本市西区花園7丁目
26.お手水(おちょうず)
神武天皇の皇孫・健磐龍命(たけいわたつのみこと)が手水に使ったことに由来。加藤清正や細川家3代藩主綱利も使用した伝承をもつ湧水である。水量が豊富で養鱒場に利用されている。
[場所]熊本市西区花園7丁目 柿原養鱒場内
27.鳴岩の湧水 (なりわのゆうすい)
鳴岩は、高さ10mはありそうな高い岩塊で、『肥後國誌』が「岩の中から水流の音がする」と名の由来を伝えている。岩の割れ目から湧水しており、パイプで引かれた水を汲みに多くの人が訪れる。
[場所]熊本市西区花園7丁目
28.前川の井川端(まえかわのいがんはた )
地域の人が「イガワさん」と呼ぶ水場。水道が普及して今は生活に利用されていないが、昔は炊事や洗濯をしていた。「寒い日でも湧水だから温かかった」と昔を懐かしむ近所の人。今もきれいに保たれている。
[場所]熊本市西区花園7丁目
29.延命水(えんめいすい)
釣耕園や叢桂園の水口が延命水である。共同の水場で石段のあり、地域の人たちが野菜などを洗う姿を見ることができる。生活の結びつきが強い湧水である。
[場所]熊本市西区島崎5丁目
30.少年の家跡 (しょうねんのいえあと)
元は貴族院委員・古荘健次郎氏の別荘で、昭和17年に市に青少年健全育成のための施設として寄贈された。敷地内には湧水を生かした清楚な庭園がある。島崎の数ある湧水の一つで、地域の人たちが保全・活用している。
[場所]熊本市西区島崎5丁目
31.小山田の井川(おやまだのいがわ)
小山田川に隣接した湧水井戸で、地元では井川(イガワ)さんと呼んでいる。水道が敷設されるまでは、この地域の貴重な水源であった。金峰山、本妙寺の登り口に位置し、登山者、参拝者たちはこの井戸で喉を潤し、水筒に入れて登っていったとされる。深さは3m程度の井戸は、いつの時期から埋まっていたが、近年地域の方々が、土砂等を取り除き、元の形に戻し、美化清掃に取り組んでいる。
[場所]熊本市西区島崎6丁目
32.長命水 (ちょうめいすい)
その昔、茶の湯に重宝された名水とされ、明治の中ごろまではこの水を樽に入れて市街地に売りに行く人もいた。現在ほとんど湧水はないが、地域の人が美しく維持している。肥後國誌が長命の水と伝える歴史ある水場である。
[場所]熊本市西区島崎4丁目
33.四方池の池(よもちのいけ)
四方池の池は、かつて生活用水に利用されていた地域共同の水場である。湧出した清水が2坪ほどの池をつくっている。湧出口の近くには井戸もある。地域では、災害時の生活用水として利用できるよう、毎年、池を浚い清掃し保全に努めている。池には、お堂や放牛の石仏(38体目)があり、地域の貴重な水源であったことを物語っている。
[場所]熊本市西区横手4丁目
34.産女水(うぐめのみず)
花岡山北麓の崖下の窪みに湧き、井戸のようにも見える湧水地である。名前の由来は、江戸時代、この付近の浪人の家に女の子が生まれた時、この水を産湯に使ったからという。横手五郎の産湯に使ったからとの話もある。かつて共同の水場で、人々が集う所であったことを物語るように、傍らに放牛の石仏(73体目)がある。付近に住む方が日々清掃され、清潔に保たれている。
[場所]熊本市西区横手3丁目
35.横手の井芹川旧河川(よこてのいせりがわきゅうかせん)
井芹川は、かつては本妙寺附近を蛇行し、熊本城の西側、森本櫓の下から段山を廻り横手を経て坪井川に合流しており、特に段山附近から横手までの流域を祓川(しめかわ)と呼んでいた。現在、横手の鐘ヶ淵後附近にその面影がみられ、当地には雨乞い伝説も残る。附近は、加藤清正と縁が深いお寺が多く、高麗門外で城下町並みの扱いを受けたとされる。
[場所]熊本市西区横手1・2丁目
36.乳水(ちちみず)
花岡山の中腹にある湧水で、岩肌より水がしみ出すように湧水しているのが確認できる。量はさほど多くないが、絶えず湧水していて下段には水が貯留している。乳水について肥後国誌では、「古祇園 祇園平ニアリ。祇園社ノ旧址ナリ。僅ノ清水湧出ス。里俗嬰子ノ此乳味乏シキニ水ヲ乳母ニ飲シメ賽ニ醴ヲ供シ其ノ応アリト云。」と記載される歴史ある湧水である。
[場所]熊本市西区春日4丁目
37.熊本城長塀前の坪井川(くまもとじょうながべいまえのつぼいがわ)
長塀前の坪井川は、黒と白のコントラストが美しい長塀と、坪井川の水面とせせらぎが合いまって、城下町、熊本を代表する水辺の風景の一つ。熊本城完成の頃以前は、大きく蛇行した白川が流れており、土木の神様、加藤清正が城の防衛と城下町形成などを目的に現在の形にしたという歴史も興味深い。
[場所]熊本市中央区本丸ほか
38.清爽園の池(せいそうえんのいけ)
明治11年に西南戦争を戦いぬいた熊本鎮台の将兵が、四戦役の戦没者を祭る記念碑を建立。その後有志により旧・花畑邸の庭石を配した見事な庭園が整備された。この庭園の上部には横井戸が掘ってあり、そこに染み出た湧水が池に流れていく仕組みになっている。
[場所]熊本市中央区宮内
39.江津湖 (えづこ)
江津湖は、日量約40万立方メートルの湧水量をもつ本市最大の湧水地である。約600種類の動植物が生息し、環境省の「日本の重要湿地」に選定されている。多くの市民に親しまれる本市の環境のシンボル的存在である。湧水量の減少などで昔の面影が失われつつあり、江津湖の保全は熊本市の大きな課題である。
[場所]熊本市中央区・東区神水本町ほか
40.桜井硯の池(さくらいすずりのいけ)
硯の形をした湧水池で、水道ができるまでは、地域の生活用水として利用されてきた。湧水の起こりは、弘法大師(空海)が諸国行脚の折、この地で水に不自由しているのを見て、桜の杖で地面を突いて加持したところ、清水がこんこんと湧き出たからという。傍らにある大師堂はその恩に感謝し弘法大師を祀って建てられたもので、地域で代々大切にされてきている。
[場所]熊本市東区神園1丁目
41.鐙田湧水地(あぶみだゆうすいち)
藻器堀川の上流域にあたり、託麻南中央公園脇にある妙見社の池、公園内、藻器堀川沿いからも湧水がみられる。かつては、地域の洗濯場として賑わうほどであったが、現在は人工的な河川環境へと様相を呈し、湧水量も減少しているが、密集する住宅地の中での貴重な親水空間としての機能を果たしている。「鐙田」の地名の由来は「鞍の両脇の鐙まで埋まるほどの湿田」に因むとされる。
[場所]熊本市東区長嶺東4・5丁目
42.中無田熊野座神社の銘水(なかむたくまのますじんじゃのめいすい)
熊本市東部を流れる秋津川の右岸にある中無田熊野座神社は、約400年前、嘉島町の浮島熊野座神社を分祀・勧請して地区の氏神様となった。境内南側に自噴井戸があり、地下水が勢いよくパイプから湧き出し、地域の方が水汲みや洗い物などに利用している。いつ訪れても美しく維持され、地元で大切にされている湧水である。
[場所]熊本市東区秋津3丁目
43.メリ穴公園(めりあなこうえん)
塚原古墳公園に隣接するメリ穴は阿蘇火砕流堆積物が湧き水により侵食されてできた洞窟で、その奥の天井近くから勢いよく水が流れている。住民は昔からこの水の神を祀っていて、「参り穴」から「メリ穴」と呼ばれるようになったとされる。また、当地には「夕方鶏を洞穴に入れたら、翌朝には宇土市の轟水源で鳴いた。」という伝説も残る。
[場所]熊本市南区城南町藤山
44.平井戸水源(ひらいどすいげん)
甲佐町に隣接する城南町鰐瀬地区にある湧水地で、約100平方メートルの広さもある湧水地部分からは、正面の崖下や池の底から清水が湧き出し、浜戸川の支流にそそいている。昭和47年の大水害時、土砂で埋没したが周辺住民の手によりよみがえった。土鹿野集落の中心にあり、地域住民の憩いの場所となっている。
[場所]熊本市南区城南町鰐瀬(土鹿野)
庭園(45~52)
45.成道寺 (じょうどうじ)
肥後藩家老沢村大学の菩提寺で、熊本の山水庭園の代表格である。モミジや桜、竹林に囲まれ、清水が注ぐ池と苔むした静寂な庭は、漱石などの文人・画人からも愛された。紅葉の名所としても知られている。
[場所]熊本市西区花園7丁目
46.三賢堂(さんけんどう)
石神山の湧水を泉水とした庭園がある。政治家・安達謙蔵が市民の精神修養の場として建てた三賢堂は菊池武時、加藤清正、細川重賢の坐像がある。肥後三賢人が見守る、静寂な佇まいの湧水庭園である。
[場所]熊本市西区島崎5丁目
47.釣耕園(ちょうこうえん)
細川家3代藩主綱利公がここに御茶屋を造ったことが始まりで、米田松洞が庭の景観を「釣月耕雲」と詠んだことが名の由来。庭園は飛び石を配した広い池に山渓を取り入れて中心に置き、南側の崖には九重から持ってこられたというシャクナゲの群落がある。
[場所]熊本市西区島崎5丁目
48.叢桂園 (そうけいえん)
肥後藩の医学校再春館の師役村井家の別荘である。上手の釣耕園の水を引いて曲水が流れ、百日紅や楓など林、苔むした庭は、新緑・紅葉など四季折々を通じて鑑賞できる静寂な庭園である。頼山陽が終日庭造りを手伝わされたという。
[場所]熊本市西区島崎5丁目
49.立田自然公園(泰勝寺跡) (たつだしぜんこうえん(たいしょうじあと))
細川家の菩提寺跡であり、細川藤孝夫妻、細川忠興とその妻ガラシャを祀る「四つ御廟」や、杉木立に囲まれた「苔園」、茶室「仰松軒」があり、熊本市を代表する名所旧跡の一つである。 庭園内には、立田山の湧水がつくる池泉があり、広く静かな水面に、周りの自然の彩りが鮮やかに映り込み、四季折々に訪れる人を楽しませてくれる。
[場所]熊本市中央区黒髪4丁目
50.水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)
藩主細川忠利公の命でお茶屋が造られ、さらに水前寺が建立されたのがはじまり。「水前寺のお茶屋」は後に大規模な大名庭園となり、成趣園と名づけられ、今の水前寺成趣園となっている。清らかな地下水が湧き出す池を配した桃山式の回遊式庭園は、素晴らしい眺めである。園内には細川家ゆかりの出水神社があり、境内に「長寿の水」がある。熊本の代表的な観光地である。
[場所]熊本市中央区水前寺公園
51.旧砂取邸庭園(きゅうすなとりていていえん)
江戸時代後期に整備したとされる藩主細川家の御茶屋の庭園である。屋敷は地名をとり「砂取邸」と呼ばれていた。湧水を生かした庭園であり、かつては水前寺成趣園と並び賞された美しい庭園であった。東側にある祠は細川忠興(三斎)が大徳寺高桐院で僧を切ったといういわくのある細川家伝来の名刀「希首座(きっそ)」を奉ったものとされ、それにまつわる伝説が伝えられている。
[場所]熊本市中央区出水2丁目
52.神水苑(しんすいえん)
神水の「くわ」とは古語で美しいの意で、清らかな江津湖の湧水を象徴する地名とされる。その名を冠する神水苑は、元は細川刑部家の別荘で、庭園中心につくられたものという。湧き水の池泉を配した回遊式庭園は、明るく伸びやかで水前寺成趣園を彷彿とさせる。現在は現代的な結婚式場となっているが、庭園は往時の面影をとどめている。
[場所]熊本市中央区神水本町 マリエール神水苑内
井戸(53~56)
53.御馬下の角小屋の井戸(みまげのかどごやのいど)
御馬下の角小屋は豊前街道を往来する島津、細川などの大名が休憩所として使用したお茶屋で、現在は熊本市の記念館として一般公開されている。深さ42mにも達する井戸が現存し、篤姫が食べたスイカもこの井戸で冷やしたとされる。
[場所]熊本市北区四方寄町
54.夏目漱石内坪井旧居の井戸跡 (なつめそうせきうちつぼいきゅうきょのいどあと )
文豪夏目漱石の旧跡は松山・熊本・東京の三か所で、その中で当時の旧居が残っているのは熊本だけである。その中でもこの内坪井の家が最もよく昔の面影を残しているが、この庭園に、長女筆子の産湯に使ったという井戸跡が残っている。筆子が生まれた時、漱石は「安々と海鼠のごとき子を産めリ」と俳句に詠んでいる。漱石ゆかりの井戸跡として貴重である。
[場所]熊本市中央区内坪井町
55.桜の井戸(さくらのいど)
加藤清正は、有事に備えて城下の要所に桜の井戸を造った。上通セントラルハイツの前にあるこの井戸もその中の一つである。周辺の井戸水は茶の湯に最適とされ、城中でも重宝されたという。旧町名の桜井町は桜の井戸から名付けられたものである。
[場所]熊本市中央区上通町
56.熊本城の井戸(くまもとじょうのいど)
加藤清正は、朝鮮出兵の苦しい籠城経験から、熊本城築城の際に120余の井戸を城内に掘ったと伝えられ、うち20本近く現存している。熊本城は阿蘇火砕流堆積物からなる京町台地の突端にあるため、深さが約40メートルに達する井戸もある。熊本城を支えつづけた歴史ある井戸である。
[場所]熊本市中央区本丸ほか
土木・建築物(57~68)
57.豊岡の眼鏡橋(とよおかのめがねばし)
江戸時代後期1802年10月に造られたもので、年号のはっきりしている石造眼鏡橋では熊本県内で最も古い橋といわれている。この橋は輪石と輪石を楔石で継いだ単一アーチ橋となっている。この橋を渡って川沿いに添って進むと旧道があり、国道208号線へ出た所に『田原坂攻撃官軍第一線陣地阯』の石標がみられる。
[場所]熊本市北区植木町豊岡
58.古城堀(ふるしろぼり)
県立第一高校の西側にあったお堀。以前は石垣の裾に水堀が巡らされ、蓮が一面に茂っていた。しかし、戦前の段山を削った土や昭和28年の大水害の際の廃土で埋められ、現在は古城堀端公園となっている。
[場所]熊本市中央区古城町
59.石塘(いしども)
加藤清正は、城下町を洪水から守るため、春日付近で合流していた白川と井芹川を分離して、井芹川を高橋方面に向ける治水事業を行った。この分流のため築いた堤が春日、二本木地区に残る「石塘」である。日本で最も古い分流工事の一つとされている。
[場所]熊本市西区春日、二本木
60.明八橋(めいはちばし)
全国に肥後の石工の名を広めた名工、橋本勘五郎が手がけた石造の眼鏡橋で、明治八年に坪井川に架けられたので明八橋という。唐人町界隈の古い町並みや川の風景とあいまって、地域の景観を引き立てている。現在は人と自転車のみが通行できる。
【明十橋について】
明十橋は、下流の明八橋と兄弟橋として地域に親しまれている。橋本勘五郎が手がけ、明治十年に架けられた。外観は石造の眼鏡橋だが、昭和の改修で、中身は鉄筋コンクリート製になっている。
[場所]熊本市中央区新町、西唐人町
61.渡鹿用水 ※渡鹿堰、樋門、大井手、一の井手、ニの井手及び三の井手(とろくようすい)
慶長年間に加藤清正が築造したと伝えられる白川水系最大規模の水利施設である。渡鹿堰により白川をせき止め、樋門を通じて水を大井手(川)に引き入れ、一の井手、二の井手、三の井手に分水している。熊本市の農業の発展に大きく寄与した。現在の堰は、昭和28年の災害を受け復旧した堰である。
[場所]熊本市中央区渡鹿ほか
62.江津塘(えづども)
上江津湖から加勢川右岸沿いに続く長い堤防で、加藤清正が築いたと伝えられ、清正堤ともいわれている。この江津塘により、湿地帯だった土地に新田が造成され、上無田、下無田などの新しい村ができた。一方、江津塘の東側には湧水が集まって、現在の江津湖が誕生している。
[場所]熊本市東区画図東ほか
63.中無田閘門 (なかむたこうもん)
加勢川下流に六間堰ができたため、昭和16年に加勢川と緑川を結ぶ閘門が設けられた。天草五橋ができるまでは、天草からの船の往来で賑わっていたという。全国でも珍しい閘門で「天明ミニパナマ運河」の愛称で呼ばれている。
[場所]熊本市南区中無田町・富合町杉島
64.御船手渡しと御船手跡(おふなてわたしとおふなてあと)
富合町御船手地区は江戸時代、藩船の乗組員や水夫たちが多く住んでいる船頭町で杉島御船手と呼ばれていた。この御船手と川尻は、上流から中之島渡し、杉島渡し、御船手渡しの3つの船渡しで結ばれており、藩船の乗組員たちが外城町への買い物に利用していたのがこの御船手渡しだった。当時の石畳は現在もその姿をとどめており、石畳から対岸を望むことができる。
[場所]熊本市南区川尻3丁目・富合町御船手
65.川尻の船着場 (かわしりのふなつきば)
川尻町は、加藤清正の治世より年貢米の積出港として発展してきた。その船着場が加勢川沿いに往時の姿で残っている。船着場の長さは150メートルで、13段の石段が築かれている。かつて水運が運輸の中心だったことを物語る史跡である。
[場所]熊本市南区川尻3・4丁目地先
66.呑吐堰跡(どんとぜきあと)
加藤清正の時代、緑川は富合町杉島で大きく北に湾曲しており、水はけが悪く大水害を引き起こしていた。そこで、杉島から緑川を直流させるため新川を堀削した。これが堀川呑吐と呼ばれるもので、緑川の放水路の役割をなした。ここに築かれた堰が呑吐堰であり、宇土一帯160町余の田畑を潤すと同時に、舟運のための砂防堰の役割も兼ねていた。
※写真は干潮で水が引いている時間に撮影したものです。
[場所]熊本市南区富合町杉島
67.井樋橋(いびばし)
富合町田尻・南田尻地区にある井樋橋は、加藤清正公の時代に潤川流域のかんがい用として、石をたたんで造ったとされ、馬門石が使用されている。一部補修しているが、当時と同様に機能をはたしており、木製の観音開きの水門は潮の満ち引きにより自動で開閉する仕組みで、潮が満ちてくると門自体が浮き、閉まる構造となっている。
[場所]熊本市南区富合町田尻・南田尻
68.桑鶴の轡塘(くわづるのくつわども)
轡塘は、加藤清正が多用した肥後の伝統的河川工法のひとつで、河川の合流地点や水あたりの激しい部分に作られた洪水軽減方法である。桑鶴の轡塘は、緑川と御船川の合流部に築かれた轡塘の中でも大規模なもので、洪水時には遊水池が水を蓄え、周辺への出水を押さえるしくみになっている。
[場所]熊本市南区城南町千町
祭り・信仰・習慣(69~75)
69.若水 (わかみず)
元旦早朝に汲んだ水を若水という。一家の主人が手桶とオヒネリをもって汲みに行く。若水は神棚に上げたり、それでご飯を炊いたりする。若水を飲むと一年の邪気が払われるという。正月の伝統的な風習である。
70.川祭り(かわまつり)
川祭りとは、子どもの水難防止や水の恵みなどを願って、地域で行われている伝統的な風習である。竹やわらでとっくりなどを作った「わらづと」に、魚の干物や野菜、お酒を付けて、川端に供えたりする。夏の土用の丑の日頃(7月20日前後)に行われる。今もいくつかの地域で続けられている、水と関わりの深い風習の一つ。
[場所]熊本市東区鹿帰瀬町ほか
71.恵比須まつり(えびすまつり)
恵比寿まつりとは、豊漁、豊作と航海安全を祈願する民間信仰で、漁業が盛んな地域で行われている。港などに恵比寿像を祀り、神事や海上パレード、会食などをする。漁協主催で行われるところが多く、漁師さんをはじめ地域住民も参加するところもある。
[場所]熊本市西区河内町塩屋ほか
72.水神信仰(すいじんしんこう)
水神信仰とは、湧水地などに水神様を祀って、水の恵みや子どもの水難防止を願う、地域の民間信仰である。湧水に恵まれる本市には、水神様が祀られている地域が多くあり、今でも地域で清掃したり、祭りを行ったりしている。
[場所]熊本市東区画図東ほか
73.水神社と水神様(すいじんじゃとすいじんさま)
城南町の蓍町地区にあり、同じ敷地に水神社と水神様が祀られている水に関わりの深い神社である。手前に水神社があり「彌都波能賣命(みづはのめのみこと)」という水の神が祀られており、奥の池の浮島に水神様のご神木が祀ってある。神社周辺は、現在の緑川の堤防が築かれるまでは、多くの湧水があり、池も湧水していた。
[場所]熊本市南区城南町千町
74.川尻の精霊流し (かわしりのしょうろうながし)
江戸時代から続く川尻の伝統行事である。八月十五日夜、加勢川には、たくさんの万灯篭とお供え物を載せた精霊船が流され、お盆で迎えた霊を送りだす。熊本の夏の風物詩である。
[場所]熊本市南区川尻
75.みずあかり(みずあかり)
2004年から始まった「火」「水」「竹」「蝋燭」と熊本の資源を活かした明かりの祭典で「みずあかり」は、ボランティア、企業など熊本市民が創るお祭りとされる。年を追うごとに熊本の新しい市民の祭りとして賑わいを増し、定着してきた。秋の夜のシンボルロード一帯、花畑公園、熊本城長塀前・坪井川を2日間で5万4千個ほどのろうそくの灯かりが彩る熊本の秋の一大イベントとなっている。
[場所]熊本市中央区本丸ほか
伝統文化・芸術・民話・伝承・伝説(76~80)
76.小堀流踏水術 (こぼりりゅうとうすいじゅつ)
細川藩の武用水練として宝永年間に村岡伊太夫によって編み出され、その子小堀長順によって完成された日本泳法である。藩校時習館の必須武芸の一つであった。長順が著した「踏水訣・水馬千金編・水練早合点」は日本水泳最古のテキストである。
77.中村汀女さんの水を詠んだ俳句(なかむらていじょさんのみずをよんだはいく)
俳句を国民的な文化に広めた中村汀女は、熊本市生まれの俳人。「江津湖に私の句想はいつも馳せてゆく」と記すほど江津湖を愛し、句作の源泉としていた。水を詠んだ俳句は、いまなお熊本の豊かな水の情景を語り続けている。汀女の句碑が江津湖畔などに立っている。
78.堅山南風作「魚楽図」 (かたやまなんぷうさく「ぎょらくず」 )
堅山南風は、熊本市生まれの日本画壇の大家である。「魚楽図」は故郷の江津湖を描いたもので、「鮒(ふな)」「朱(しゅ)ビンタ」「蜻蜒(せいてい)」「イダ」「☆魚(じょうぎょ)」からなる五幅対の作品である。幼少の頃から親しんだ江津湖への思い入れは格別で、この時は実際に漁船に乗って写生している。南風は、魚を描くことについて、「水の描写も大切ですが、魚だけで水と思わせるというところ迄描けていなければ神品とは云えぬかもしれません。」と語っている。
☆…「魚」へんに「條」
[所蔵]横浜美術館
79.味生池跡及び竜伝説 (あじうのいけおよびりゅうでんせつ)
味生池は、肥後の国司・道君首名が構築した灌漑用水池で、肥後国最初の大規模な利水事業として知られる。池は埋められ今はないが、池上(いけのうえ)の地名が残る。この池にちなむ竜伝説が伝えられる。国指定史跡・池辺寺跡と関係が深い。
[場所]熊本市西区池上町、谷尾崎町
80.旦過の瀬(たんかのせ)
旦過の瀬は、二本木(古町)と世安を結ぶ渡し場であったといわれ、現在の世安橋あたりと推定される。旦過の意味は、旦が早朝を意味し、修行僧が一夜の宿泊する庵が旦過といわれ、旅人は朝にこの「旦過の瀬」を渡ったとされている。旦過の瀬では、1580年阿蘇家の武将甲斐宗運と島津方連合軍(隈本城主城親賢ら)との間で一大合戦が行われた場所で、熊本城下唯一の古戦場とされる。
[場所]熊本市中央区世安、西区二本木
食・産業(81~85)
81.水前寺もやし (すいぜんじもやし)
藩政時代からの名産品として知られ、清らかな江津湖の湧水を利用した伝統農法で栽培されている。長寿と健康を願う縁起物の正月野菜で、熊本の雑煮に欠かせない。現在は出水今地区の農家2軒が、伝統農法により生産する希少な野菜である。ひご野菜の一つ。
82.水前寺せり(すいぜんじせり)
水前寺、江津湖周辺の湧水で栽培するため「水前寺セリ」と呼ばれ、香りと色合いがよく、熊本の春の味覚を満喫させる風味と食欲増進の効用を持つ春の七草の一つとされる季節野菜。本市の清らかな地下水が育む食の一つである。
83.赤酒(あかざけ)
江戸時代、熊本(肥後細川藩)では、赤酒を「お国酒」として保護していた。もろみを絞る前に「木灰」を入れて保存性を高めるため、「灰持酒(あくもちざけ)」ともいわれる。熊本では、正月のお屠蘇として馴染みのお酒で、水に関係の深い食の一つである。料理用に使われることも多い。
84.熊本の清酒(くまもとのせいしゅ)
酒づくりでは、洗米や仕込み水に使用され、良質な水がおいしい清酒をつくる条件とされる。熊本の清酒は、豊富で良質な地下水と、お酒の神様、野白金一が開発した醸造技術とあいまって、高い品質を誇る。水に関係の深い食の一つである。
85.水前寺のり及びスイゼンジノリ発生地(すいぜんじのりおよびすいぜんじのりはっせいち)
江戸時代、肥後藩が幕府へ献上していた高級品である。自生する上江津湖は「スイゼンジノリ発生地」として国指定天然記念物であるが、特別保護区内は絶滅の危機に瀕している。市内の生産者が嘉島町内で養殖し、郷土料理店などで重宝されている。ひご野菜の一つ。
地名(86~88)
86.水道町 (すいどうちょう)
水道町の地名は、消火用の水道が通っていたことに由来する。肥後國誌によると、宝永四年(1707)正月より、佐々牛右衛門・米良勘助が掘ったものという。この水道は享保九年(1724)には埋め戻され、いまはないが、水道町の地名がこの歴史を伝えている。
[場所]熊本市中央区水道町
87.船場(せんば)
坪井川を水運に利用していた頃、中央郵便局の北東に舟だまり(船着場)があったため、このあたりは「船場」と呼ばれた。船場橋には有名な肥後手まり唄にちなんで、エビとタヌキを象った橋柱燈が設けられている。
[場所]熊本市中央区船場町下・船場町
88.神水(くわみず)
神水とは、「美しいきれいな水」の意味であり、神聖な水として「神水」の地名が当てられたとされる。神水本町及び神水は、上江津湖の北側、東側に位置し、江津湖の清冽な湧水を象徴する地名である。
[場所]熊本市中央区神水、中央区・東区神水本町
人物(89~90)
89.加藤清正(かとうきよまさ)
加藤清正は熊本の基礎を築いた人物であるが、いまなお熊本市民の崇拝を集めているのが治水・利水事業である。土木の神様、治水の神様と称され、いまも熊本市民の暮らしに恩恵を与えている。熊本の水を語るとき、清正抜きに語れず、水に特に関わりの深い人物である。
90.桧垣 (ひがき)
桧垣は平安時代の女流歌人で、勅撰和歌集にも歌が載るすぐれた歌人である。白川べりの蓮台寺は「桧垣寺」とも呼ばれ、ここに庵を結んでいたという。「桧垣の井戸」や「こぼし坂」、歌など、水と関わりの深い物語をもつ熊本ゆかりの人物である。
生態系(91~92)
91.成道寺川流域の水域生態系(じょうどうじがわりゅういきのすいいきせいたいけい )
成道寺川は、井芹川の支流の一つで、花園柿原の成道寺やお手水などの湧水を水源とする、童謡「春の小川」を彷彿とさせる川である。非常に短い川であるが、川岸などがコンクリートで整備されていないため、絶滅危惧種の野生希少動植物が数多く生息し、市内の川では稀な水域生態系を有している。環境保護団体などが、この流域を対象に、自然観察会や調査を行っている。
[場所]熊本市西区花園7丁目
92.緑川河口のヨシ原 (みどりかわかこうのよしはら )
熊本市南部を流れる1級河川・緑川の河口には、広大なヨシ原がある。このヨシ原は、動物の棲みかとなり、また水質浄化の役割も果たし、緑川河口の生態系を支えている。その群落は希少な存在として「レッドリストくまもと2004」に掲載されている。 河口右岸の二丁港から新平木橋、河口中州にかけてのヨシ原は絶景である。
[場所]熊本市南区川口町ほか
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